お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

お守り

朝、夫がまだ寝ているうちにこそっと体重を測っていた。

「おはよう」

あ、起きた。乗っかって数字を読もうと屈みこんでいる真っ最中、隠しようもない。

「おはよう」

「何キロだった?」

誤魔化そうか、適当な数字を言おうか。

「・・・・・・    (    )キロ。・・・」

あまりに低い。

「...いいんです。そんなことで自分を恥じ入ることはないんです」

「でもこんな数字で街中をあるいているひと、いないよね」

「・・・うん。でもいいの。トンさんは恥じ入る必要はない。そのまんまでいいんです」

それからなんと返事をしたっけ。たぶん「うん」とか「ありがと」とかゴニョゴニョ返して何事もなかったかのように「朝ごはん何時にする?」と聞いたと思う。

それだけ。それだけの出来事。

 

1日経った今、こうして思い返しているということは、意外とじわじわと響いているようだ。

自分を恥じ入ることはない。

恥じ入ることはない。

ひょっとしたら初めて言われたかもしれない。

愛してるとか認めてるとかありがとうとか、そんな言葉より心に残っている。

嬉しかったとかそういうのともちがう。文鎮のように私の中心に置かれた言葉。

昨日からたった1日の間に、何度も心がざわつきかけてその度に思い出した。

あ、そうか。今のまんまでもこの人は私を恥じ入っていないんだ。

私もこのまんま堂々とやっておかしくないんだ。

そして落ち着く。

すごいこの言葉。

お守りみたいだ。

もう強くなろうとかどうなろうとか、しなくていいのもなぁ。

ずっと欲しかったのはこの落ち着きなのかもしれない。