お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

みんな意味があって居る

今朝、バイトに行き掛けに息子が玄関で呟いた。

「楽しみだけど、今日は平日だからアイツがきてるんだよね」

後から入ってきた主婦のパートのおばさんのことだ。「おばさんと言っても母さんよりは若い感じ」の彼女、平日フルに五日勤務に入っている。

職歴が色々あってから結婚し、その後の転職なので、息子にはまだ任されていないパソコン業務も受け持ち、社内でも意見をどんどん言って意欲的に働いている。

息子にも、指示を出したり、注意をしたりするので、彼としては内心面白くない。

「後輩はあっちなのにさ。上から目線で言ってくるのが気に障るんだよな。うるせえって思いながら、はぁ、そうっすかって流してるんだけどさ、命令してくんなっつうんだよ」

その言い分もわからなくもないが、社会経験を積み、結婚し、パートといえど週5日フルで働いていたら、それはもう、社員みたいなものだろう。仕事を持ち、家庭では母である女性からみれば、大学生のアルバイトなんぞ、お子ちゃまもいいとこだ。

改善点や問題点のアラが見え、良かれと思って口を出しているのに違いない。

先週末、上司に言われたマニュアルと明らかに違うことを言ってきたので、鬱憤の溜まっていた息子は、その場では適当な相槌でかわし、後からそれとなく正社員の上司に「・・・って言われちゃったんですけどねぇ」とやんわり漏らしてやったと鼻息荒く帰ってきた。

「あ。それ、気にしないで、マニュアル通りでいいからって、あっさり苦笑いしながら言ってたよ、あったりまえだよ」

後から、上司にさりげなく言いに行くあたりが、なんとも母としては複雑である。

セコイというか。小さいというか。

しかし同時に、よし、それくらいのしたたかさを備えているのだな、と安堵もする。

私なら言いに行かない。問題提起の元になる煩わしさを避けるずるさもそこにはある。

人の行動や性格には相性がある。相性があるだけと言ってもいい。

職場ではいい奴だろうが、嫌な奴だろうが、やはり有能な人間は大切な存在だろう。

そこに個人の相性が絡む。

私にとって嫌な奴でも、違う人からすれば頼り甲斐があっていいということもある。

私の感情がざわついたとしても、それと一人一人が地球上で役割があって存在している事実とは、全く関係がない。次元の違うことだと思うのだ。

私は職場ではきっと「使えないやつ」としてデキル上司からは嫌がられる。しかし、このヌケサク加減をうちの男どもは好む。

そんなもんなのだ。みんな、何かしらの意味があってこの世にいるんだから。

多分、誰もがそのまんまでいいのかもしれない。

それぞれがそれぞれで気づき成長して変化していく。いろんなことをやらかしながら。

ぶつかったり、転がったり、喜んだり喜ばれたりしながら、削られて角が取れていく。

「まあさ、カッとしてもさ、反射的に行動しないこと。どっちにしても、君がおじいさんになってまで許せないほどのことではないから、それは。」

「確かに。1日がもったいない。俺は楽しんでくる」

そうそう。

そう言って送り出しはしたけれど、今からあんまり丸いのもなぁ。これくらい血気盛んなのも、若者らしくていいよねぇ。

呑気に朝ドラを観る母である。