お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

強く

息子は今大学3年。就職活動が始まる。既にインターンシップに参加したり会社説明会に行ってみたりはしているが、見ていてガンガン積極的に出向いているという印象はない。

「だってどこでも入れればいいってもんじゃないから。本当に行きたいと思うところを厳選しているんだ」

果たして彼がどこまで社会を知っていてどこまで数ある会社にどんな仕事があり、どんな魅力があるのかを掘り下げているというのだ。

熱心に調べている様子もない。本ばかりはたくさん並んでいるが。

かといって私に的確なアドバイスをしてやれるだけの知識も知恵もない。夫はそういうところは頼りになると思うが、彼と息子とでは互いの得意分野も興味持つところも全く違う。

夫の話も息子には的外れのように響いてしまうらしく、シャットアウトしてしまう。

先日も担当教授にそろそろ活動しないとと遅れちゃうぞと言われ、一瞬は焦り気味になったものの、それでも誰かに相談しに行ったりもしない。

さすがにこっちが落ち着かなくなって

「教授に話を聞いてもらったら」

と言ってみた。

「やなんだよ、そしたらそれからどうしたとか、ここ言ってみろとかなったらめんどくさい」

「それだっていいじゃない。自分の知らない職種や会社を教えてくれるかもしれないじゃない」

「それがめんどくさいんだよ」

そうか・・とそれ以上は黙った。

情報を得るのに人に聞くという方法を使うのは私の甘さなのかもしれない。

入社したばかりのころの夫が「先輩に聞けばいいじゃない」と何度言っても、頑として自分で書庫に行き資料を読みあさって調べては仕事を進めていた。

同期の男子は上司や先輩に気軽に「すみません、ちょっと教えてください」といっているのを見ていると、その頑なさを要領が悪い人だなあと、もったいなく思っていたが、それもどうなのだろう。

なんでも困ったらすぐ誰かに相談するのは素直なのだろうか。甘ったれているのだろうか。

「結局さ私は息子がどこに就職してもいいと思うんだよ、無名のところでも、お給料が生活する分だけあって、福利厚生もしっかりしてて、彼がそこに魅力を感じているなら。家族ができたときに養ってく余裕くらいがあればさ」

今朝、夫と二人の朝食後、そう言った。

「給料や福利厚生の安定を求めるとやっぱり企業になるんだよ。あいつは俺は企業はいやだっていうけどね」

息子の就職に安定、保証をどうしても求めてしまうのは、結局は私自身が安心したいからだ。ああ、そこなら大丈夫ね、安泰ねと思いたいから。

私の人生ではない。

彼の人生なのだ。

私の人生は、こっち。彼のとは別に、こっち、こっち、こっちでしょ。

夫と話すうちにそう気が付く。

たとえ息子といえど、ひとの人生を心配するくらいなら、今の私は自分の心配をもっとするべきなのだった。

息子、強く生きろ。強く生き抜いてくれ。

何があっても応援する。

私も強く生きよう。強く、陽気に。