盲腸その後
本日も疲弊気味のため、記録的に書き残す事にします。
息子の盲腸騒動は、ロキソニンが効果を発揮した。
熱もなく、腹部の張りもない。今回もなんとか乗り切れた模様。
昨夜二錠目のロキソニンを飲ませ、騒ぎもなく昼近くまで眠れたが、今も相変わらず鈍痛は残っているという。
不発弾を抱えているような嫌な感じ。
医療センターに電話をし、前回の抗生物質の処方箋だけ出してもらえるか、そうでなければ、処方箋を近所のクリニックにデータ送信してもらえるかと相談した。
「そんな事、やってないだろ、普通」
図々しいとしぶる息子に代わり「今のご時世、絶対やってくれるに決まってる」と受話器をとった。
医療センターの代表からしてつながらない。
おそらく、定期的に通っている人たちが皆、同じようなことを考えているのだろう。
呼び出しコールにすらつながらない。
夫に頼まれて日本代表のチケットを買うときのような、繋がらなさ。
5分ほど再ダイヤルを繰り返しやっと「もしもし」と人の声がした。
事情を話すと内科看護婦さんに回してくれた。
「確かにカルテのある患者さんに処方箋だけ出すシステムを内科でも最近始めたところで、息子さんも該当しますが。強い薬なのでこちらで出した薬を伝えて、対面でお近くのクリニックにいって出してもらうことをお勧めします」
薬の名前を読み上げてもらい、メモをする。
今度は歩いて5分のクリニックに電話をし、ことの次第を電話を受けた女性に話した。
ちょっと待ってくださいねと、すぐに先生が出てくれた。
「はい、はい、わっかりましタァ。すぐきてください。拝見しますよ」
ああ。
たどり着いた。医療機関の医師に。私の役目はこれで果たせた。
もう、大丈夫。
今から行かせますので、お願いします。
先生が出てこられたところを見ると病院には今誰もいないのだろう。
すぐ行け、今行け。話はついてるから。これが薬のメモだからと追い立て家を出した。
もう、安心。あとは任せたとホッとしていると電話が鳴った。
「あ、お母さんですか、今診察いたしましたが・・」
息子は腹膜炎を起こしていないこと、今は治っているので手術適応範囲ではないこと、次回、痛んだとき、腹筋の右脇が石のように硬くなっていたら迷わず救急車を呼ぶこと、その際、盲腸の経歴を伝え、外科対応の救急指定病院に連れて行ってもらうこと・・などを教えてくださった。
「痛くなると、本人はパニックになりますから、お母様にお話ししておこうと思いまして」
なんという。
短い二日間だが、ピンと張り詰めた緊張を、優しく緩ませてくださる心遣いに、電話越しに何度も頭を下げた。
「おれ、就活、大丈夫だよな」
「大丈夫」
「病院行って、コロナ、大丈夫だよな」
「そのためにお風呂沸かしておいたでしょ、帰ってすぐに入ったから大丈夫です」
「感染したりしてないかな。・・また痛くなったらどうしよう」
「・・・大丈夫でっす・・」
私の声が次第に低くなったので
「おい。怒るな」
息子が睨む。
「・・怒ってない。うんざりし始めているところだ。大丈夫の」
一昨日の晩から、もう何万回も大丈夫か、と聞いてくる。絶対的な安心感を持たせてやりたいと、めんどくさくなってもグッと堪えて、その度に陽気にダイジョブダイジョブと優しく、時に自信に満ちた声で励ましてきたが、先生に診てもらい、症状も落ち着いてくるともう勘弁してもらいたい。
「だって心配なんだヨォ。
わかるがな。
いつまた痛くなるか、そうなったとき、病院は受け入れてくれるのか。
それが就職の面接日に影響しないか。
不安で不安で落ち着かないよね。
でも。
起きていないことを起きる前から想像して疲れ果てるのは、やめたほうがいい。
エネルギー消費して気分がどんよりするだけだ。
必要な備えをし、あとは信じる。
日々を楽しむ。
今回もなんとか乗り越えることができました。
全ての事に感謝します。