よっ
紫陽花。雨の降る庭に紫陽花がある。
もうダメと思った時期もあったけれど、こんなに咲いた。
紫陽花のある庭。望んでいたものがある日突然手に入った感じの不思議さと嬉しさ。
息子が昨日、夕飯時にポツポツ話しはじめた。
友達がいないらしい。
こう、ここで書くことにとても勇気がいった。「友達のいない息子」が、現実としてグッと私に迫ってくるから。
「授業でグループワークのあるときは話すけど、そうでもないと俺、学食でもいつもひとりでいるんだ。ひとりは嫌じゃないけど、あいつ、ひとりだって思われるのが恥ずかしい」
堅物の息子は堅物のくせにメディアの勉強をしている。そんなところに集まってくる若者は、初対面でも気さくに会話し、授業中でも話しかけてきたりするらしい。
「なんか中身がないっていうか、調子がいいっていうか。とにかく嫌なんだよ。そういうの」
「そう見えるだけで、誰でもどこかビクビクしてたり自信がなかったりしながら、仲間を作ろうとしているんじゃないのかなぁ。最初は誰でもいいから、話す相手が欲しいと思って話しかけるんじゃないの?足場を作る意味でも、居場所を確保するためにも。そうやってなんとなく気の合う奴が続いて友達になっていくんじゃないの」
「嫌なんだよ。そういう薄っぺらいのは。俺は自分がいいと思ったやつと付き合いたい。けど、そういう奴がいないんだよ」
おまえ、何様なんだよ。
そう思って、ハッとする。
大学生の時、なかなか恋人ができない私に男友達が、とりあえず、誘ってくれた人は断らずに会いにいけ。軽い気持ちで付き合えばいいんだよ。と言った。
そう言われて私も怒ったっけ。
「私は自分がちゃんと好きになった人じゃないと付き合いたくない」
自分がどれほどの人間だと思っていたのか。どこか自分の価値観や感覚が世間と少しずれていることを薄々感じていた。流されるままにだれかと付き合うと、自分が変わっていってしまうような気がして怖かった。知らない世界の人に感化されていくことを怖れた。
今にして思うと、経験不足の頭でっかちな臆病者だっただけかもしれない。
息子の今がそれと同じかどうかはわからないが、とにかく、彼は今、おっかないんだろう。いかにも、自分の意志で友人を作らず突っ張っているかのように話しているが、実のところは見知らぬ世界に流されていくことに、自分を保てなくなる不安を感じているのだ。自分の世界を壊されたくない。壊したくない。守りたい。
「俺はこれでいいんだ」
「誰も話しかけてこないの?」
変わり者で仲間外れになっているのかとバカ母は伺う。
「いや、廊下でちょっと顔を知っている奴がヨッとか言ってくるけど」
「よって言えばいいじゃん」
「やだよ。友達でもないのに。恥ずかしい」
確かに息子のキャラに「よっ」っていうのは、ない。いちいち、あの、ちょっといいかな・・といって要件を言う。逆に言えば、要件がないと話しかけられない。意味もなく適当に話すことができないのだ。天気の話でもテレビの話でも課題のことでも、当たり障りのない話題で互いの空気を埋めることは苦手なのだ。
「大丈夫だよ。よって返事をしたくらいで、相手はいきなり裏切りのない固い友情を結んだとは思ってないよ。知ってる顔だな。ヨッ。ってだけだって。君だってよく母さんに言うじゃない、スルーするなって。俺が話したこと流すなって言うでしょ。ヨッってきたらこっちもヨッでいいんだって。拒絶してませんよって合図になる。無理にそこから話を盛り上げなくてもいいんだよ。」
「俺はそんな自分が恥ずかしい」
無理に友達を作らなくていいから。とりあえず、ヨッって言ってごらん。何か変わるから。いいじゃん、どうせドキドキしてる自分を隠してポーカーフェイスしてるんだったら、ひとりこっそり、よし、今日はヨッって言っちゃったぜ、オレって、ゲームみたいにやれば。ポイントにしよし、今日は2回言ったぜとか今日は5回も言ったから新記録だとかさ。そのうち、じゃあ難度を上げて今度はこっちから言ってみようってポイント稼いだりして遊べば。
ニヤッと笑った。
「ヨッ」
「・・・よ・・」
「それでいいんだって、ドギマギしながら言えば。とにかく発声すればいいんだって。まさか図々しく、間合いとか気の利いたトークとかしようと思ってないでしょうね。初心者はまずは、リピートから。リピートするだけでいいんだよ。オレは心を閉じているわけじゃありませんって合図だよ」
「うう・・・」
恥ずかしい話だが、書いた。
書いたら、息子の友達できない問題が、それほど心配して恥じ入ることでもないように思える気がしたのだ。
書いてみて、心配は消えない。器用でないのは私譲りだと心も痛む。
でも、そんな男の子がいるってことだけなんだだとも、思えてきた。
ずっと咲かずにいた庭の紫陽花も、今年になって突然次々と蕾をつけて咲き始めたのだ。
息子もゆっくり咲くだろう。