お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

今このとき

夜中に目が醒める。決まって1時30分。前後して3、4分程の正確さ。

目が覚め、枕元の時計を見る。見当がついていても、見てしまう。

そして安心する。自分のいる今がどこなのか、数字を見て確認し、安心するのだ。

数字。そんな心許ないものを信じて落ち着く自分の習性がおかしくなる。

暑い日に、今日は最高気温何度でしたと聞けば、ああやっぱりと、納得し、今日はお買い得と言われるより、3割引と赤い文字で貼ってあればどれどれ見てみようかと店を覗く。

時計が壊れていてもそれはいいのだと思う。

夜中に見ている時計と、リビングの壁掛け時計がたとえ、5分ずれていたとしても、私はやっぱり、枕元の時計がピタリと1時半を指していると、ほうらねと納得して、おちつくのだろう。

11月で結婚25年を迎える。

夫と25年25年と言い合っているうちにどんどん、二人で感慨深い気分になり

「いろいろあったねぇ」

などと、すっかりおしどり夫婦を気取る。

つい最近まで二人ともそんなことに気がつかずいたのに25という数字にその気にさせられる。

妻もそうか、25年かと急にメモリアル気分になり

「なんだよぉ。銀婚式だっていうのに帰ってこないで放ったらかしかよぉ。構わんぞ。宅急便で届けても。」

と、ついからかう。

一年目、二年目三年目。ただ時は今しかないというのに。

時空間のなか、自分がどの位置にいるのか、二人はどこまできたのか。

実は過去も未来もなくて今この瞬間だけがあるだけ。

そして夫には夫の25年分の記憶が、わたしにはわたしだけの25年のデータが頭の中に入っている。

今目の前にあるこの家庭がわたしの全てだが、夫には家庭より多く過ごした会社での彼の空間がそこに大きく加わる。知らない顔がそこにある。そこでどんな思いをしたのか。闘いも、憤りも、喜びも達成感も。

夫の薄くなった頭を撫でながら、そんなことを思った。