星の記憶
『宇宙には二つとして同じエネルギーは存在しない』。
読んでいた本の中にこんな一行があった。
この言葉にあっとなる。
そうだ。そうだった。
この宇宙には私というエネルギーを生きているのは、この私だけ。
あの人も、あの有名人も、あの苦手だと思う人も。
それぞれが、自分のエネルギーを燃やしている真っ最中。
遠い昔、自分で決めてきたんだっけ。
「こんどはこういう人生で、この人たちと、こういうことをする」
大まかに設定したストーリーを神様に見せ「よっしゃ、いってこい」と、人間として送り出してもらったエネルギー。
二つとして同じものはない。宇宙中のどこにも私と同じものはない。
この人と私は似てるかな。あぁ違う。やっぱりこの人も私とはちがう。
みんなと違うわたし。
みんなよりできないわたし。
みんなより素っ頓狂なわたし。
みんなより・・・。
そうか。わざわざ違いをつけて生まれてきたのだった。
同じでは命として生まれることはできないルールだから。性格や体質、家庭環境など青写真をつくるとき念入りに宇宙全部を見渡して、「これならどこの星の誰とも被らない」というキャラクターとシナリオを創ってこの地球星を選んだのだった。
宇宙には二つとして同じエネルギーは存在しない。
私が私である意味が納得できる。
似てる人がいないわけだ。
そしてみんな、そうなんだ。
みんな、同じがいない心許なさをどこかひっそり抱えて生きている。
だから恋をして
だから絵をかいて
だから本を読み文を書く。
だから体を動かし汗をかいたり。
発明したり山に登ったり
喧嘩したり仲直りして。
みんなと会ってみたり、ひとりになってホッとしたり。
そうだそうだ。そうだった。
存在しているだけで、それだけで宇宙には意味のあるひとつ。
思い出した。