お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

今の私が好き

ようやく観念して秋冬ものの衣替えをした。

毎年、春から夏への衣替えのとき、無精者の私は、次に肌寒くなり始めたときすぐ対応できるよう、カーディガンや長袖のネルシャツなど数枚、タンスの中に残しておく。今年は夏が長かった。9月に入ってもまだ、半袖でしのげるような気候だったので、9月下旬から10月と、それらでなんとかごまかしてきた。

しかしさすがに11月に入るとそれも限界である。

一年ぶりに懐かしい顔ぶれと再会する。

亡くなった祖母の形見のカシミアの臙脂色のセーター。これはもう、寝巻きにしてもいいと思うほど、着たおし、ザブザブと雑に手洗いしてるのに、ちっとも毛玉もできず伸び縮みもしない。ふらふらと思いつきや気晴らしで買った最近のものは、もって3年。洗うと風合いがパサついたり、襟元が伸びたり、そして、飽きる。お洒落な人なら、その年の流行を取り入れたものを上手に加えて着回すのだろうが、私の場合は極端な寒がりなのでまずは暖かさ重視。そして、楽チン重視。すると自然と「昔、上等着だったボロ」が勝ち残る。

つい昨晩、インターネットで今年の冬物を覗いて

「あら、これならいいんじゃないかしら」

と妄想にふけっていたが、衣装ケースの蓋を開け、毎年恒例の「スタメン大御所セーター」の面子を見ると

「そうであった、そうであった。結局これしか着ないんだっけ」

と買いたい欲求がしゅるるるるんっとしぼんでいった。

ストールが好きで結婚前、会社帰りに銀座のデパートや小売店で気に入ったのを見つけるたびに買ったものが、ずいぶんある。出勤時やデートに使っていた上物だったから、スーパーなどには勿体無いと、よそ行き用に大事にし、毎年そのまま冬を越す。

まてよ。私のよそ行きっていつだ。

半径2キロの日常の今、友達と会うのが一年に二度ほど。あとは一人でたまに本屋や映画に行くのと、医者と祖母の見舞いと・・・お墓参りと・・・。

おかしくなった。お墓詣りが立派なお出かけになるほど、およそは遠い。

そしておそらくこれからも、華々しいお出かけは、私の日常にはないだろう。

鏡の前で25年前、新婚のとき奮発して買った、イギリス製の、赤にグリーン、ブルー、ブラックが縞模様になった帽子とマフラーのセットを身につけてみる。

数年前、ひどい鬱のとき、なんでこんな突拍子もない色合いのものを買ったんだろうと、見るのも嫌だった。捨てようかと思いつつも、どこかでいつかこの暗闇を抜ける日がくる気がして、とっておいた。

若かった頃より、似合う。ピチピチした肌より年季を積み、くすんだ今の方が気恥ずかしくなく着られる。

派手な色合いと相まってちょうどいいのかもしれない。

一張羅と決め込んでいたDKNYの大判ストールも、なぜか拍子抜けするほど気負っていない。むしろ、くすんだ肌とボロの普段着の上にそれが乗ると、いい感じでこなれ、馴染んでいる。

そんな年になったんだなぁ。

浮かれてこれを買っていた頃の若い自分が可愛くなる。

乗り越えてきたなぁいろいろと。

今月で結婚25年、今度の誕生日で50歳。

悔いなく年を重ねている今の私に、思いがけず出会えてうれしかった。