お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

マイミュージック

端末の中の整理をした。

ジワジワとその時の気分でブックマークしたサイトやダウンロードした音楽、自分で作ったノートなどがそこにある。走り続けてきた今までの私が、すがるような気持ちで手元においたそれらは、今の私には響いてこない。

センチメンタルに思い悩んでいた当時の自分が痛々しくて目を背けたくなる。

やたら心を整える系の音楽と哲学系の本がある。

もう、情緒的に反応するのはやめた。

そうやっていれば、自分が弱きもの、繊細なもののように思えた。囲いの中に引っ込んでいじけながら相手や環境や自分の病気のことを思いつめている私は、被害者であり、悲劇の人で「私はわるくないのに。。」という構図の中で安心して息をすることができた。

励まされれば、そんな簡単にはいかないのだ。わかってもらえない。とひねくれ、慰められれば、「あぁ私はどうしてこうなんだろう」といじける。

しゃらくせぇ。

変えられない状況なら、その上で開き直って生きるしかないじゃないか!馬鹿者!

自分の感受性くらい、自分で守れと、茨城のりこの詩にあったあの意味は、感受性が強く傷つきやすい己を大事大事にガードしろということじゃないんだよっ。

なにがあろうと、何を言われようと、自分の尊厳をそんなことに揺ら揺らさせるな。そんなぐらついた自分の軸ではなく、地に根をはったしっかりした自分を育てろ。

そういうことじゃないの?

今だからそう言える。当時の私に今現在の私がそうピシャリと言えばきっと、こじらせた。あの頃は何もかもが悲しく虚しく頼りなかった。生きているだけで精いっぱいだった。

 

マイミュージックからメンタル系の心に優しい音楽を削除。

これを必要とする人はもっと他にいる。あの頃の私のように、必死にただ、生き続けている人はまだ、いっぱいいるはずだ。

ただ、表に出てこないだけ、声をあげないだけ。本当に苦しんんでいる人は発信するエネルギーすらないのだ。私も毎日毎日、優しい旋律の音楽をずっと聴いて、やっとのことで心のバランスをとっていた。

 

気がついたら今の私は、ずいぶん強い。

これだけはと守っていたものを次々と捨てた。自分の生きている意味さえ捨てた。

だって、ここに存在してるんだから。

それが全て。それだけでいい。

 

整理整頓されたライブラリーに今あるのはナットキングコールとビンググロスビーとルイアームストロング。JAZZに詳しいわけじゃない。ただ、好きなだけ。

好きなものだけをゆっくりゆっくり拾い集めていこう。

好きな空間を追いかけよう。