お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

私は母親

息子が昨日、転科試験を受けて来た。

作文と面談と聞いて本人としては、教授二人、三人に話を聞かれるくらいと思っていたら、部屋に入ってみるとずらっと教授陣が全員揃って着席していたそうだ。

なんで変わりたいのか。高校からこの学部に入った理由と動悸、こっちに移ったら何をしたいのか。今夢中になっていること。あの作品は知っているか。どんな視点でそれをみたか。グイグイ順番に質問されたという。

「学部長がさ、君、学科に友達いる?もし、ダメだったら友達の手前可哀想かなって聞くから、友達はいません、その辺はもう覚悟の上で来てますから大丈夫ですって言ったら、いないのって驚かれちゃってさ、慌てて、知り合いはいるけど友達は学内にはいませんって言った」

なんてのを聞くとドキッとする。

表面上、つながることが出来ないのは私も夫もそう。私も友人と言えるのは三人だ。何を持って友人とするかなのだけれど。

でも最近、そんな難しく考えなくてもいいのではないかなと思う。

みんなお友達とも言える。道端で立ち話するだけの人でも、回を重ねていくと互いの事情もそれとなくわかって気心も知れてくる。

みんな個々に自分を独立して生きている。それぞれがついたり離れたりしながら、縁の深さは振り返ってみて残るもので、今、この人は友達って言えるかなどと、区切れない。

そうやってみると息子の知り合いはいるけど友達はいないと教授陣の前で堂々と言ってのけるのは、自分を貫いている強さなのかなぁ。

「アルバイトで自分が接した人に感謝されたり笑顔になったのを見ると幸せな気持ちになる。自分が関わることで人が笑顔になる仕事がしたい。作品の鑑賞をして分析する今の学科で学んでいるうちに世の中に作品を送りだす方をもっとやりたいと思うようになった」

そういうと学部長のおじいさん先生

「君は真面目な人なんだね。その真面目さは大事にしたほうがいい」

とおっしゃったそうだ。

「大事にしたほうがいいってさぁ、なんだか突き放されたのかなぁ俺、真面目な甘っちょろい考えですねぇって言われてんのかなぁ」

教授のお考えはわからないけど。

ギリギリのとこまで、そのまっすぐな生真面目さを心の隅っこに置いて成長してくれるといいなぁ。

という、私も甘ちゃんなのか・・・。

ずる賢さも持っていてほしい。真面目な清らかさも持っていてほしい。優しい心も、ここは譲れないという頑固なところも。適当に図々しいところも、繊細な感性も。

 

なんでもいい。

目の前の君の心が健全で、どんなときもどっしりと自分を愛する力を蓄えた人であってほしい。

 

・・・・受かりますように。