お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

いかん、休もう。

そうとう疲れている。

身体も心も。気がつかないうちに疲れているようだ。

身体の声を聞くままにしていると、1日なにもせず、終わってしまう。

それが未だになぜか恐ろしく、昼過ぎからは何かしらやる。

それはハンバーグを焼くことだったり、庭の芝刈りだったり。スーパーに行って帰ってくるだけだったり。取り立てて素晴らしい何かではないが、とにかく1日寝ていなかったと、自分を納得させられる。

なんでだろう。家の中で誰もみていないのに、寝っ転がっていることに後ろめたさを覚えるのは。

入院したいと思うほどの夏だった。入院したならベッドで堂々と寝ていられる。患者だから。

ならば、家の中で入院したと思って過ごせばいい。

入院費を考えたら、そのお金を手抜き家事につぎ込めばいいじゃないか。

そうすればだれも心配しない。わたしも楽ができる。便利なサービスや家電をさっさと利用すれないい。

理屈の上ではそうだ。友達になら、わたしはきっと本気でそう進言する。

「そんなさぁ、悲壮な顔して手作りのご飯や家事をちゃんとやっても家族は迷惑だよ。お母さんはとにかく機嫌よく。それが一番居心地がいいんだよ」

ごもっとも。妄想の中の私。

 

不思議なもので大根を切ったり、鍋にあれこれ入れてグツグツやっていると、いかにも主婦をやっているかのような気分になる。頭もさえ、身体も機敏に動く。このとき思うのだ。

あぁ。ちょっと休めばこうやってすぐ動ける。気持ちのもちようだったんだ。今日は早く寝て明日からまたがんばろう。

そしてその翌朝、また動けない。

そして、夕方、台所にたち、風呂を掃除したりトイレを掃除したりしているうちに足りない洗剤、明日の夕飯のメニューなどを思いつき、明日買い出しにいこう。作り置きをしよう。窓も曇っていると、頭だけが冴えわたり気力だけが満ちてくる。

これはパソコンのダメになる寸前の、あの、フリーズをやたらしまくる状態と似ているのではなかろうか。

些細なことで、機嫌を悪くして、拗ねて動かなくなる。本体の裏側は熱を持ち、反応は鈍く、さもしんどそうに稼働する。

こりゃダメだとシステムダウンして一晩経って立ち上げると、気分屋のパソコンはサクサクと動いたりする。

人間は日常の生活のと並行してのシステムダウンはできない。

いや、夜の睡眠がそれなのか。眠りの浅いわたしにはそれが充分足りていないのか。

 

昨夜、息子が夕飯のときに言った些細な言葉にイラッとした。

いつもなら言葉を選びやんわり交わすか、問題提起だけして考えさせるかする程度のことだった。

「そう、自分でいろいろ経験して味ってその意味がわかるようになるしかないね」

ぴしゃりとでた言葉は本音なだけに鋭かった。

息子はいつもと違う調子に食事を食べかけのままムッと黙り二階に上がった。

私もこれ以上そばに居たくないので、さっさと食べ残しの皿を片付け、自分だけ食べ続けた。

頭を冷やせ。自分で考えろ、甘ったれるんじゃない。

ゆっくりコーヒーを入れて、アイスクリームを食べてもおいしくもなんともなかった。

 

休みどころがわからない。休み加減がわからない。

どこからが無理していて、どこからが怠けているのか。

 

とにかく。無駄な消耗はよそう。

今夜は昨夜息子が残したハンバーグとサラダ、冷蔵庫にある残りもののカレーでいい。

 

発火点となった息子の一言は

「あぁあ、最近、いいことないんだけど。どしたらいい?」

である。

「いいことって。特別ななにかを探すからわからないだけで、毎日たくさんあるでしょ。ご飯がおいしい。安心して眠るベッドがある、家がある、どこか怪我しているわけでもなく、病気でもなく。読みたい本が買えて」

「それはあって当たり前のものだろ、俺が家を買ったわけでもないし。そんなの生まれた時からあるだろっ」

「ふうん・・・じゃ、自分でいろいろ経験して・・・・」

と、ピシャッとやってしまったのである。

ただの若僧の甘っちょろい戯言だというのに、なぜか無性に腹立たしかった。