お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

ハガキの距離

台風の影響で断水になった地域に住む友人から水が届いたとハガキが来た。

県内でも水の止まったのは彼女の住む街だけらしく、この返事を書いている前日から少しづつ水道が出るようになってきたらしい。

幸いにもそれ以外の被害はなかった、今週末は知人の浸水した家の手伝いに行くんだと書いてある。

そして差出人のところに「とにかく私は元気だよ!」と赤いボールペンで囲んであった。

文字にエネルギーがある。大丈夫だ。

水が復旧したところに届いたら迷惑だろうかと迷ったが、送ってよかった。

お互いラインをやっているのにまだ繋げていない。電話番号も知らない。大学を卒業した後、何度か行き来をしてるのに連絡手段はハガキのみのまま、ここまできてしまった。会うと話が弾み、いつもラインの交換を忘れてしまう。

今回、ラインが通じていないことを本当に悔やんだ。

たった一言、だいじょうぶ?と聞きたいだけが、できない。

それであの手この手で市役所にまで電話して情報を集めて勝手に水を送ったのだった。

しかし、振り返ってみて思うのは。

繋がっていなかったことは却って良かったのかもしれない。繋がっていれば、ついこっちが不安で、こっちの都合で状況を知ろうと連絡をしたろう。

忙しくで気が張っているところを煩わせたろう。

「大丈夫?水送ろうか?」と聞いただろう。

そうしたら自立した遠慮深い彼女はきっと

「うううん、大丈夫よ、もうじき復旧するらしいから」と答え、私もそう言っているのに無理に送って迷惑になってもと、遠慮する。

わからないけど心配だから、ええい、届けよう。

そのアクションも、あとは遠くから祈って便りを待つ距離感もラインが繋がっていればあり得なかった。

他にやりようがなかったからそうなっただけだけど、案外密接しすぎてあちらの生活をかき回さないで済んだようにも思うのだ。

水が止まっただけと言うけれど、それだってものすごいストレスだ。

大きな被害の方がたくさんいる中で声を大にしては言えないけれど、小さな小さな不便が続く生活はしんどいに違いない。

負けないで。

頑張りすぎないで。