お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

ミックス

赴任先に夫が持っていき、向こうで処分してくるはずだった椅子が戻ってきて半年が過ぎた。

生前、父が使っていたもので、中学生から嫁に行くまで、この椅子は「奥の部屋」と呼ばれる廊下の突き当たりのオーディオルームにソファセットと一緒に置いてあった。会社から帰ってくると、日曜の朝、午後、夕食後、いつもそこに父はいた。

たいていは本を読んで、流れていたのはジャズで、「お父さん」と呼びかけて振り向いたその顔を見るまでは、機嫌がいいのかそうでないのかわからなく、ドキドキしながら近寄った。

父の頭の匂いの染み込んだ背中の部分は、ずっと消えなく、父が亡くなった後もそこに父がいるんだと思いたくなる時、そっとかいだ。

いつの間にか椅子が父となり、それは安らぎではなくなり、会いたいのに会えない気持ちを倍増させてしまう辛いものになっていった。

だから決別したかったのだ。

妙なことに夫はこれを、気に入っていて、「これ持っていく」と言った時、しめたと思ったのだ。自分の見えないところで処分してもらえれば。

「持っていってもいいけど、持って帰ってこないでよ。」

持っていきたい一心で「わかった」と約束したものの、「やっぱりあれ落ち着くから持って帰る」と舞い戻ってきてしまったのだ。

お父さんがいるような気になるだけの切ない椅子なのに、目の前に置かれるとやはり大事。そこで夫がお菓子をボリボリ食べたりすると「やめてクレェ」と心の中で叫んでいたが次第に、そうやって色を塗り替えていけばいいと思うようになった。

お父さんへの郷愁を捨てたんだから、一度は心の中で。

私が知らない赴任先できっと夫は毎日ここに腰掛け彼なりの時間を過ごしたのだ。彼にとってはもう、この椅子は義夫の形見ではなく「僕の椅子」なのだ。

何にも言わずに放っておくと次第に息子もここに腰掛けるようになった。

ここでレポートの下書きをし、テレビを見て、音楽を聴く。

部屋に籠る時間が減り、一階で過ごす時間が増え、それと同時に夫とじゃれ合うように喧嘩しながらも、相談したり世間話をすることが多くなった。

お父さんがいつも孤になり難しい本を読み考え事をする場が、時が過ぎ今、娘の家のリビングでお菓子を食べたりゲームをしたり居眠りしたりの、全くの寛ぎの椅子になってしまった。

久しぶりに椅子の背頭の匂いを嗅いだ。

夫の皮脂と息子の青年らしい汗の混じった、それでもなぜか懐かしい匂いがした。