お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

変化

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夫の持って帰ってきた亡き父の愛用していた椅子は、今はもうすっかり彼の居場所となった。その昔、父が会社から帰ると、奥のオーディオのある部屋に引っ込み、そこでジャズを聴きながら本を読んでいた。その部屋はなんとなく用もないのに開けることのできない、父だけの空間だった。

時々、聞きたいことや食事ができたとか、そんなことでドアをノックする。すると大抵は、あの椅子に腰掛け、向こうを向いていた。

「お父さん」

呼ばれてから振り向くのだが、その時の顔が笑っているか、神経質なイラついた表情なのか、少しいつもドキドキするのだった。

その椅子が。今となっては。

「あぁ。。。やっぱうちは落ち着くぅ・・」

テレビに向かって腰をずらして足を投げ出し鼻をいじりながら座っている我が夫。

ご主人様が違うとこんなにも椅子のまとう空間が変わるのか。

私が娘だった時は、誰もそこに座ることを許さないという厳しさがあったものだが、今の彼はデローンとくつろぐ夫を「おつかレェ」と陽気に迎える。

息子も夫のいない時、そこに腰掛けることがある。

すっかり家族に馴染み込んだ。

あの椅子がねぇ。将来私の家庭で、こんなにも馴染んだ存在になるとは。

そして。

私も自分のイケアの椅子をここに持ち込んだ。

イケアの椅子を買った動機は、自分一人になりたい時、疲れたとき、悲しいとき、そこに座って空を眺めるためだった。二階の窓から見える夕焼けが私は好きで、そこに置いてぼんやりするのは、とても大切なことだった。

ざわつくリビングに置くなんて絶対ありえない。

本当に我ながらどうしたことだろうと思う。

心の変化の理由はよくわからない。わからないまま分析はしない。

なんとなく、そう思ったんなら、そうしてみよう。それだけだ。

今の私は夫が帰るのを待つ時、息子が帰るのを待つ時、時間差のある家族が1日の数時間、数分、ここに集うとき、このイケア君に座っていたい。

彼の椅子。私の椅子。息子の声。

家族の部屋。

 

 

 

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