母という人
母がやってきた。
籠に盛ってある蜜柑をこれひとつちょうだいと、手にとり、剥き始めた。
「食べるなら、座ってお食べ」
皿を洗いながらテーブルの椅子をちろっと見ながら勧めると、いわれた通りに腰掛ける。
「お姉さんが蜜柑嫌いだから、うち、買わないのよね。」
この人は父が生きているときは父の好みに、父が亡くなると、お姑さんにすべてを合わせ、今は姉を基準に暮らしている。テレビ番組も夕飯の献立も、姉の時間と好みに自分の生活をすりあわせて生活している。今は独身のお姉さんのために私は死ねないと、主婦業を文句をいいながらも、それを生き甲斐に生きている。
高校生で父親が亡くなり、そこから弟二人の母親がわりをやりつつ、働きにでた祖母をかばってきた。
いちばん心が柔らかな娘時代、だれかに甘ったれてこなかった。
毎晩疲れて帰ってきた祖母の愚痴をきき、家族の夕飯をつくり、弟が悪さをしたときは保護者として謝りにいった。
結婚してからは妻として。嫁として。母として。
誰かのなにかとしてでないと、自分を保てないのであり、それが彼女の生きる道そのものなのである。
「今度、息子の成人祝いで外で食事しようと思っているから来月の下旬、あけといてね」
「あら、そうなの。そうよ。お祝いはちゃんとしたほうがいいのよ。あなた、いい加減だから、どうするのか気になってたのよ。お店はどこにするの?あちらのお父さまもちゃんとお呼びしなさいよ。」
いやいやいや。あちらのお義父様をお呼びするから、お母さんもご一緒にいかがですか、という趣旨なのですよ。
「お義父さん、最近体調が優れなくて気持ちもちょっと元気ないから優しくしてあげてね」
実は、先日ちょっとしたことから夫と義理の兄に叱られ、落ち込んでいるのだ。この企画は、やんわり仲直りしたらいいなという想いもあるのだ。いつものように母を話題の中心にしてやり気持ちよくさせてやるわけにはいかないのだ。
「どちらかというと、息子より主役はあちらのお父さんだからね」
三つの指で蜜柑の房を口に放り込みながら聞いていた母が、不満そうに返事をした。
「わかってるわよ、そのくらい。何年おばあちゃんに仕えたとおもってるのよ、年寄りの御相手はお手のものよっ」
すぐふくれる。
「そうそう。だからお願いね。ふたり、隣同士にするから、お母さんは看護婦さんになってあげて。私たちが気を使うより嬉しいと思うよ。看護婦さん、任命。お願いします」
「まかせなさい」
全部の房を食べ終わったところで、黄色い皮をちいさく折り畳んで立ちあがる。
「あんまり、気負うことないわよ。お寿司でもみんなで食べればそれでいいのよ、こういうことは。お父さんのことは心配しなくていいから、安心して任せなさい」
「ありがとうございます。よろしくお願いします。」
じゃね。手を振りながら帰って行った。
かわいい。
こんなかわいい人だったんだっけ。
ぷっとふくれて、けろっとご機嫌になって、最後は上から目線で締めくくる。
あの人はずっとずっとずっと、これからも私と姉のお母さんをやっていくんだろうなぁ。
近頃それが素直にありがたくなる。