お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

愕然

朝8時半、みんなを送り出した後の朝食を済ませボケっとしていると、隣の家の玄関が開く。

婆ばのお出かけだ。午前、地元のサークルのパステル画、午後、五反田でのバーゲン、午前から高校からの仲良しがいるのに合流。

元気だ。

旅行のときも薄々感じたが、私の方が劣っているのではないだろうか。バイタリティも行動力も、ひょっとすると体力も負けているかもしれない。

つい昨日「この気候で食欲ないよねえ」と体調不良を共有し、よかった私だけじゃないんだとちょっとホッとしたが、冷静に考えると実際、外出の回数は、はるかに彼女の方が上だ。

こんなんでは彼女の介護などできない。

まずは力をつけないとは思うものの、今更急に鍛えたりするのもめんどくさい。

あの人よりも唯一上回ものといえば。引っ込める力・・・。あと・・・容認する力か・・。

これは、誇れるものとして相応しいだろうか。

自分軸と自己肯定感がしっかりとしてさえいればそれは充分私の武器となる。

 

今朝のNHK番組で作家の柳美里さんが80近くのアンケートに答えると、その人にお勧めする本を選んで送ってくれるくというのを知ったので、さっそくやってみた。

自分という人間がどういう人間だと思われるのか、ちょっと知りたかった。

その中に「あなたの身体で好きなところときらいなところは」という質問に愕然とする。

身体ですきなところ。無い。無理やり探そうとしてもココと選べない。嫌いなところ・・・全部?

え、っと思った。遠い昔は自分のプニプニの二の腕、ちょっと濃いまつ毛、薄い肩 よく見ると二重の眼がすきだった。病気をし、ガリガリに痩せ細ってからは鏡に映る骸骨のような骨張った身体に自信がもてない。それがやっと最近、まあこれが今の私なのねと受け入れ諦め容認ができるところまできた程度だ。

拒絶もしないけど、好きって思ってはいないことに改めて気づいた。

かわいそう。

誰が可哀想。

私でなく、身体。ずっと私の形態をしてきたはずなのに、乱暴に扱われた末に、私自身から愛されてもいない。

愛していなかった。もっと愛してやらないと。

でも実はよくわからない。自分の身体を愛するってどういう生活なんだ。私のこの身体君を好きになるってどういう感覚なんだ。

母はまだ帰ってこない。

今日は姉が休みなので夕飯は姉が作る。きっとたっぷり遊んでおしゃべりをして、暗くなってから帰ってくる。

自分を愛する力がまず、圧倒的に負けている。

 

 あまり、深く思いつめないようにと、ぼんやり頭の片隅に置いた。