お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

第2章がはじまる

今、京都にいる。

母と。

私は退院してから外に出ることができなくなった時期がある。それは激しい鬱で、自分の存在自体消してしまいたく、それでも息子の存在が引き止めた。どうせ死ぬならもう1日だけ生きよう、もう1日だけと、小さな納戸に自分の机を持ち込んで引きこもっていた。

母に対する悲しみや怒りに気がついたのもそこでのことだった。

長い長い長い苦しみだった。悲しみだった。怒りだった。

 

トンネルを抜けた気がする。

何故だかなんの根拠もないのにそんな気がした。

ついここ数ヶ月のことだ。

誰もなにも変わっていないのに、自分自身もなにも変化した覚えはないのに、あるとき「あ、終わっている」

と不意に湧いた。

母の同じ言葉も痛みにならない。

自分への嫌悪も薄く剥がれていく。

視座が変わった。自分だけを見つめていたレンズは気がつけばピントがずれ、それほど感情の動きに敏感にならなくなっている。

 

なにも変わっていないはずはなかった。

息子は成人し、20歳になっていた。

そうだ。苦しみもがいていた時には責任を負うべきはずの我が子が、今目の前で低い声でデンと座っている。気がつけばすっかり青年だ。

 

お礼を言いに行こう。

この子を授けてくださいと、お願いした京都のお寺にお礼に行きたい。

なかなか子供ができなかったあのとき、必死に手を合わせたあの山のお寺に行ってお礼を言いたい。

この子のお陰で死ななかった。

この子のお陰で強くなれた。

 

子供を授けてくださいとお願いして無事授かり、郵便でお礼の気持ちを送ったがずっと気にはなっていた。いつかちゃんと伺って手を合わせてお礼をしたいと。

トンネルを抜けた気がする。

 

「京都に行きたいんだよね」

夫は山の奥だから一人は絶対ダメと言う。まあ渋谷から家に帰るのに反対方向の電車に乗ったりするしょっちゅうやらかす妻を「ああそう、じゃあ行っておいで」と送り出せないのは理解できる。

「私が一緒にいってあげる」

張り切ったのは母であった。

「あなたなんかヘナチョコなんだからどうせ無理よ。行きましょう。いつ行く?こういうのは思い立ったっら早い方がいいのよ」

あれ。あれれれれ。

いつか行きたいんだよねぇ・・の話があっという間に現実味を帯び、若干怯む。

母と二人、大丈夫だろうか。

いや、もう大丈夫なんだ。終わったのだ。

母と二人で京都にお礼参り。

それもいいかもしれない。禊の旅にしよう。これでスッキリけじめをつけて次に進もう。

 

78歳が50歳を連れて行く。

長い鬱が開け、そうだ京都に行こうと言えばパッと連れて来てもらえるこの身は、なんと幸福者なんだ。

「ありがとう。添乗員さん疲れたでしょ。あたしゃ恵まれているよ」

ホテルの部屋でビールに酔っ払ってそう言った。

「あなたが心の底から楽しんでいるのを見ると私も、貴方への借りが返せたような気がするわ」

「借りってなによ」

「いろいろな過ちに対する詫びをできた気がして嬉しいわ」

ああ、やっぱりこれは山の神様が呼んだ禊の旅だったんだ。