お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

私のせいだという想い

多忙な昨日、これも尊いと書いた。尊かったのは息子の投げてくるボールをスルーしないですべてキャッチできた奇跡。

「何時に帰ってくる?」

病院に行くわたしにそう聞く。19歳の青年がおかしいと思うかもしれないが、はじめてのライブに行くのに、ものすごく緊張していた。

「しらねーよ。スーパーにも寄るんだよっ。関係ないだろ、なんでだよ」

わざと不機嫌なときの息子の口調で答えると、照れ笑いを浮かべて

「ほらさ、俺さ、出かけるから、四時半に。いってらっしゃいって言われて行きたいじゃない」

「あ、じゃ、今、言っとくね、いってらっしゃい、じゃ。」

「おいっこらっ。ちげーよ。そうじゃないだろ、今じゃないだろ」

「わかったわかった、できるだけそれまでには帰るよ」

息子に対して負い目があることは以前にも書いた。
小学生の一番、一緒になって遊んでやればいいときを私は雑に過ごした。自分の身体が少しづつ弱っていくしんどさと父の病気がいよいよ末期に入ったこと、母からの圧力に、押されて心にも余裕がまったくなかった。

省エネの育児。それこそ最低限のことしかしてやらなかった。

自転車を覚えるときも、根気よく付き合えず、ただただ、見ていた。絵本も図書館に一緒にいって日が暮れるまで読んでやればよかった。私がやったことと言えば、バスと鉄道が好きな息子を連れて、都内の乗り物を乗り継ぎ、窓の外を眺めて帰ってくる、映画を観る、お年玉をもってトミカを買いに行く、そんな消耗の少ないことばかり。そんなことで、母親の責任をかろうじてこなしている気でいた。

取り返しが効かない。そして今は今である。あのときはあのときなのだ。
理屈ではわかっているがそれでも、息子にたっぷり時間と心を費やしてやらなかったことは申し訳なかったと未だに悔やむ。省エネ。息子に省エネって・・・。
今にして思えば掃除や洗濯を多少さぼってもこっちにエネルギーをつぎ込めば、まだ少し、ましなことができたかもしれない。

そんな想いが自分にあるもんだから、いい年齢になった息子が新しい経験に飛び出すたびにいちいち、私にあぁだこうだと言ってくるのも、あの頃の足りなかったなにかを埋め合わせているように見えてくる。

「お母さんお母さん、あのね」「なあに?」が満たされていないからではなかろうか。

中学受験をすると決めたのも塾に行きたいと言いだしたのも本人だった。部活も進路も一人で決めて、その意思はいつも固かった。学科を移動することや、アルバイト、いつも自分で切り開いて、私は後ろから全面的に指示をするというやり方は自然とできあがっていた。

それも、前に立ち指揮をとってくれない母親を持った息子が、精一杯、周囲とバランスをとろうとやってきた結果なのかもしれない。

一本筋の通ったなにかが彼にはある。それは頑なで不器用なまでに強いなにかだ。

けれどその中に、とても臆病で心配性な一面が見え隠れする。わたしのせいか。

わたしのせいだと思う。

入学式のスーツを一緒に選んだ時、なにか借りを返せたような安堵感が一瞬あったが、やはり消えない。

19歳の青年は自分の道をぐんぐんと進む。「ねえ母さん」と言いながら。

馬鹿親のわたしは、求められている間は「ほい、なんじゃ」と相槌を打ち「そんなこと、起きるわけないじゃん、だいじょうぶだいじょうぶ」と笑う。

不安や迷いを笑いに昇華してやるくらいしかできないが。

 

途切れなくなにかが起こり特に気忙しかった昨日。

「はいはい。今度はなんですか」と息子からの声に、一つ一つ、レシーブを返す。

ボールを拾うだけの体力がついていた。去年の今頃ではきっと、できなかった。

それが嬉しく、尊い奇跡のように思えたのだ。風呂に浸かりながら。

まだ間に合うかもしれない。埋めきれなかったなにかを補填しきれなくても。

社会に合流していくまでに、彼の幹をもっともっと太いものにしてやりたい。