お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

切り開いて進む

息子がそろそろ就職を気にし始めた。

ほんの少し前まで「俺は大企業なんかは行かない」と言っていたのに最近では「おれ、行けるとこあるかなぁ」と実に謙虚である。ちなみにこの、大企業なんか行かないというのは、行けるか行けないかを度外視し、俺はオヤジみたいに事務職で毎日背広着て机に向かう仕事なんかしないということだったのだが、だんだん就職活動が現実として迫ってくると、安定性や向き不向き、好みの他に、そもそも自分を受け入れてくれるところはあるのか、ということに直面する。

「就職ガイダンスっていうのが学校であるんだけど行った方がいいかね」

ふだん、進路に関することなど私に相談したこともないのに珍しくそう言う。

「絶対行った方がいいよ。そういうところで最新の情報得たり、みんなはどうしているか動向がわかったりするんだから」

「・・・母さん、行ったの?」

「・・・行ってない。アタクシ、強力な縁故でしたから」

そうなのだ。私はお恥ずかしくも母の叔父が大企業の重役をしていて、そのお方のツテで紛れ込んだ。あまりにお偉い役職だったため、断るに断れないという姑息なやり方で入社している。正月、その大叔父の家にお年賀の挨拶で親戚一同が集まるのが毎年の恒例だった。ある年、私と姉が新年の挨拶を済ませたあと、母がひとりで挨拶しに叔父の前に正座をしたとき、ちょっと来なさいと私を呼んだ。

「この子、今年就職なんです。どこかお願いできないでしょうか」

なにも知らされていなかった。私は私で幼稚園の先生なんていいなぁ、今やっているアルバイト先の百貨店もいいなぁなどと呑気に構えていたところだった。

「どこでもいいの?」

と叔父が私に向かって聞く。

「ええ、もう。どこでも。この子は姉と違って馬鹿なんです」

と母が答える。

「はいはい、じゃ、どこか探してみるよ」

「ほら、貴方も叔父さまにホラっ頭下げて。お願いしなさい」

そして愚かな私は「叔父さんが決めてくれるんならそれもいっかなぁ」と深く考えずに並んで頭をさげたのだった。

 

「就職活動もしてないくせに言うなよ」

「じゃ、聞くなよ。聞かれたから私の考えを言ったまでじゃ」

「オヤジはいつ帰ってくるんだよ」

「明日」

しかし、確かに。自分の力で進路を切り開いてもいないのに偉そうなことは言えん。なにしろなんにも大切なことをやらず、のらりくらりとここまで生きているのだ。

「ま。自分で思った通りやればいいよ。わたしにもう聞くな」

「就職ナビとか登録した方がいいのかな」

「しらなーい、縁故だからー」

「いじけるな」

「ガイダンスも登録も首突っ込んどいて、なにも言われたその通りにしなくてもいいもんな。情報を仕入れてあとは自分のやり方でやっても・・・おいっこらっ、返事をしろっ」

「知らなーい。だって縁故だもん〜」

「だからいじけるなって。縁故は恥じゃない!」

恥だよ。あぁ、あのとき私はバカだった。

仕事をしながら自活するという選択肢もないほど親に依存しきっていた。

息子がひとつひとつ、自分の人生を妥協せずに切り開いていく姿が誇らしくもあり、やや尊敬もする。

「オヤジならいろいろ知ってるな。よし、気が乗らないがアイツに聞いてやろう」

「それがいいよ、彼はちゃんと真っ当に就活してるから」

「ひがむな。いいじゃないか、縁故で入った先でオヤジに出会ったんだろ」

そうだけどさ。