お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

居心地

台所の流しの前の窓につけていたカフェカーテンを外した。

突っ張り棒を使ってこれを取り付けたのは息子が幼稚園だった。

毎日代わり番こで子供達を預かり夕飯どきまで遊ばせ、お迎えにやってきたママ達のサロンになるというのが、お決まりの園だったので、そのときちょっとでも素敵なキッチンに見せたいと、つけた。

いつ見られても恥ずかしくないように。

それからずっと、付けてきた。

何度も洗濯し、付けたり外したりしたが、この窓からカーテンを取っ払うのはあり得ないことだった。

あったほうが素敵。これはお洒落。

新宿伊勢丹で買ったフランス製のカフェカーテンはお守りのようにずっとぶら下がってきた。

 

使い勝手のいい台所にしたくなった。

鍋もボールもまな板も、ここに立ったとき、手の届く視界ところにあるといい。

私は本でもなんでも、見えるところにあればついなんとなく手を伸ばすが、一度本棚に閉まってしまうと、読みかけのままそれっきりになってしまう。

あんまりごちゃついたのも気分が萎えるが、さあご飯を作るぞと道具を出すよりも、もっと気負わずいつでも立ち寄る所にしたくなった。

お茶を飲みに来たついでに、ブロッコリやさやいんげんを気軽に茹であげて置いておくような、そんないつでもやりかけの湯気のあるような、ちょっとゆるい場所に。

やってみたら明らかに潤い感は減ったが、想像以上に使い勝手が良くなった。

わざわざ屈まずとも笊に手が届き、小さいボールがそこにあるだけで、ちょこちょことしたものをついでに拵える。

椅子を持ってきてラジオをつけながらなんとなく過ごす。ほんの小さな2畳ほどの場所にダラダラ居ながら野菜を茹でて冷蔵庫にストックしていると、わけのわからない、これでいいやといった気分になり、落ち着く。

それはリネンのエプロンから馴染みのいい割烹着に戻したような懐かしい落ち着きで優しく私を包む。

 

素敵より居心地のいいのがいい。

「そんな格好で出かけたの、何か言われなかった?」

自分じゃわかってないかもしれないけど、痩せすぎで醜いわよ。あんまり人のいる所に出て行かないほうがいいよと言われている。

思ったことをそのまま口にしてしまう母は、ただ、私が世間から奇異の目で見られるに違いないと、注意してやらないとと、そういう。

言われてみればその通りなので、そうだな、見た目をもう少し良くしてからじゃないと習い事にしてもなんにしても始められない、周りの人からドン引きされない程度に整ってからにしようと思っていたが、どうなんだろう。

素敵じゃなくても、なんとなく居心地のいい人っていうのならなれるんじゃないか。

この垢抜けない割烹着の落ち着きのように、これが私の心地いい体なんですよぉと、どこにでもそのまんま顔を出してしまえば意外と、周囲も私自身も不調和音を響かせてしまうことはないような気がする。

 

お洒落なキッチンに見せようとしていたように、醜い自分を隠そうとしていた。

整ったお洒落なキッチンよりも、つい立ち寄って過ごしてしまう開けっぴろげの台所のほうが私は好きだ。