お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

地味に嬉しい

台所の洗い物水切りカゴの位置を変え、スッキリさせた。

調理台の上にしか置く場所がなかったので、手元が狭いところにまな板を置いて下ごしらえをするしかなかった。

それほど不自由に感じているつもりはなかったが、快適ではなかった。

ガス代の使っていないところにまな板を乗せ、切った材料は水切りカゴの前にちまちま並べ、タッパーも包丁も隙間隙間に重ねあげる。

調味料や冷蔵庫から取り出した食材などは水切りカゴに乗っける。

すると、まな板を一度しまうと、ついでにもう一品というのが億劫になる。たったきゅうりとトマトを切るのでさえ、ま、いいかとなってしまう。

必要最低限の動きの中、段取り悪くする食事の支度は時間も余計な動作もかかり、つい無精をしてしまうのだった。

生協のカタログを眺めていると、【狭いところを有効活用。幅18センチあれば設置可能!】と謳い文句のステンレスの水切りカゴが掲載されていた。

調理台とは反対側の蛇口の脇に置いた写真が載っている。

急いで自分の台所に行き、物差しで測ってみると一番狭いところは12センチだが、カゴを固定させる位置にあたるところはギリギリ17.5あった。いける。

あれを買おう。

今使っているものをどう処分しよう、どこかに活用できないかと手に取ってみる。

そこで気がついた。これも幅は小さめのカゴなのだった。

作業場を確保するため、調理台に対して横長に置くしかなかったが、反対側の蛇口脇のわずかなスペースに置くことは試してもいなかった。

合わせてみると、なんとか、ハマる。しかし横幅はいいが、縦は若干丈が足りなく、片方が不安定になる。

シンク下に伸縮可動式のステンレス製の網棚を入れていたことを思い出す。ボールやら、お菓子の道具など乗っけていたものを床に全ておろし、取り出した。

それを蛇口脇の狭いところに縦幅いっぱいに伸ばして置いてみると、見事に収まった。そこに水切りカゴを乗せる。ぐらつかない。具合のいいことに、洗いあがった食器から出る水分がこの網棚の間からシンクに流れ出る。

この嬉しさといったら。

時刻は6時。あと30分で夕食だというのにスイッチが入ってしまった。

今度はシンク下を整理する。タッパーは使う頻度に分けて取り出しやすいように、大根おろしは取り出すのが億劫にならないところに、お菓子の道具はまとめて奥に、色の褪せた蓋の歪んだタッパーは二つ捨てた。

調理台の上には何もない。

重曹で磨く。広くなると目の前の窓に跳ねた汚れが気になり、ここも磨く。ついでにタイルも磨く。

さっきまでの隙間作業で調理する台所が、すっきり広くピカピカになった。

まな板を置き、その前に野菜を並べ、下味をつけた肉を入れた皿を置いてもまだ余裕がある。

台所に立つのが楽しくなった。楽しくなると些細な手間も惜しまない。

毎日の作業で知らず知らず受け入れていた不便さも、解消されるとこんなに気持ちが弾むものなのか。

日々の生活の中に、知らず知らず受け入れている不具合はまだどこかに眠っている。

あくせくトレーニングと外を歩き回って放電することをやめると、意外とこんなところにエネルギーは循環されていく。

本来、暮らすってこういうことかもしれない。