お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

味わっている

体調が良くないのでもらった薬の影響でか、頭がぼんやりとしている。

反応が鈍くなっているからか、本能みたいなものが冴えてきている。

なんとなく、わかるのだ。

この不調をなんのこれしきと、エンジンガンガン吹かすとヤバイ。

ひょっとしたら死にかねないよと警笛が鳴っている。

前回倒れた時もはじまりはこんなかんじだった。

あのときは息子の受験も迫りそれどころではなかったので手摺に捕まってでもこなしたが、それでも結局は入院騒動につながった。

よくよく考えてみればあれからもう8年も経っているじゃないか。中1小僧が大学3年となり、42だった私はすでに50。

もはや体質なんだからしょうがないと気合いを入れてなんとかなる歳ではない。

ここから先はいよいよ本気で大事にしないと。シャレにならない。

目眩や頭痛をごまかし家事をしている合間、トイレで座り込んで目を閉じると、そのままふうっと気が遠くなりそうな時、あ、こんなことが原因で人って死ぬのかもと思う。

瀕死の重病ではないのに、なぜかなんとなく、気を抜くと死ぬから気をつけようと思うのだ。

おかしいだろうか。ちょっと大げさかもしれない。

でも、なぜかそんなことを最近、思う。

 

このところ、なんに対してでも「今日最後だったらどうしとく?」というフィルター浮かぶ。

明日がないとしたらどうしとく?

それまでもなにかの本を読んで、今日死ぬとしたらと想像してみたことはあったが、いつもそれは例えばの話で今ひとつピンとこなかった。今のは、なんというかもっと身近なものだ。

やっと今日が最後だとしたらという本当の意味がわかったのかもしれない。

 

そうやって目の前の出来事を見ると、どれもこれも意味無くありがたい。

めんどくさい騒動すらも、それに関わる身として自分がこの場に存在できていることが良かったなあと思う。

あの人はどう思っているかな、どう思われたかなとも考えない。

こんな格好で出歩いたらみっともないだろうか。

もっと太ってから行こうか。

いいや、今日だけだとしたら行っときゃよかったって思う、行こう。

 

別に自分が短命だとかいう話ではない。

むしろ私に関しては、常にょっちゅう病院に通っているおかげで、細く長く人生を楽しむような気がする。

ただ、不思議なんだが、このフィルターが降りてきてから、毎日が、ゆっくりすぎてゆき、そして楽しい。

夜、いろいろあったな、いい1日だったなと布団に入り目を閉じる。

朝がくると、今日はどうなるんだろうとちょっとだけワクワクする。