深く揺るがないうっとうしい愛
昨日、母が「ちょっとご相談」と言ってやってきた。
「あなた、5月12日っておひまかしら」
あ、キタ。おそらくどこかのチケットか何か既に購入してあり、取っておいたから言って来るといい、もしくは行ってきなさい、もしくは連れていってあげるのパターンであろう。
母はいつも家の中に居る私を不憫に思うのか、それともなんとかしないとと思うのか、時々こういうことをしてくれる。しかし、彼女の提案は贅沢で有難いが、ううむ、ということがほとんどなのだ。
それでも結婚するまでは、なんの抵抗もなく「うわあい」と大喜びでくっついていた。しかし、自分が主婦となり、一人前を気取ろうとしているのに対し、構うことなくグイグイ入ってくる指導にいつしか私は苛立ち始める。
離れようとすれば、余計強く否定され、母も腹立ち紛れで言わなくてもいいことをズバズバ捨て台詞のように吐く。
こっちもこっちで適当に受け流せばいいものを、真正面から受け、沈没。
一度の流産をし、やっと息子が産まれた。
出産もできないなんてやっぱり何をやってもダメねぇ・・と言われていた私は「どうだ」とばかりに踏ん反り返る。
さあ、もう文句はないでしょう。もうこれで私は一人前ですと初めての育児に取り掛かろうと張り切るが、そこでも母は「何やってもダメなお母さんですねぇ」と息子を抱いて連れて行く。息子のことだけは譲れなかった私は力づくで取り戻す。
ちょうど亡き父の病状が末期になり、彼女自身も辛い時だった。
やるせない気持ちを拭き払おうと息子の育児に参加して私より上手くできると家族の中で言いふらす。産後で気が立っていた私にはそうとしか受け取れなかった。
疎ましく思いながらも、父の死が迫っている中、不仲にもなれず、表面状のやりとりと心の奥底は違うという、分離した私が出来上がりはじめた。
息子の中学受験が終わり入学した春。ちょうど今頃の、ゴールデンウィーク直前の週末だったと思う。
なんだか歩けないなぁと思って、トイレに行って出てきたら急に立ち上がれなくなった。
結果的にそこから救急車で運ばれ、いきなり危篤となり、ICUに入って持ち直し、2ヶ月絶対安静の入院、退院したものの1回目の外来でまた2ヶ月入院。
ここから私はひどい鬱になる。
どうしてこうなったんだ。
何が悪かったのか。
母がそばにくると情緒不安定になり、意味もなく怒り泣いた。
大丈夫かと思いながら近寄ってはくるが、照れ屋なのか優しい言葉など言わない。
全く馬鹿だから身体の休みかたもわかっていない。
手を抜くことにも頭を使いなさい。本当に馬鹿なんだから。
堤防決壊。
母からの誘いや提案はもはや苦痛でしかなくなった。
なんとかしてかわそうとする。
どうして有難いと感謝しないんだと怒る母。
だからやなんだ、この人はと更に心のシャッターを降ろす娘。
退院後、心と身体が癒えるまでに時間がかかったが母との葛藤にも長いこと苦しんだ。
一緒にいて笑顔で食事をしていても、祖母のところへ二人で見舞いにいっても、冗談を言い合ったりしながらも、いつもどこか、身構えて乗っ取られまいと心を半開きにし、用心していた。
「如水会館でフランス料理が期間限定でお得なコースを用意してますっていうから、二人分で申込んどいたわよ。夫くんと二人で行ってきなさい。あなたたち、そういうのやらないから。こういうのも練習よ」
これまで何度か母の提案で夫婦外食もしたことがあるが、夫は嫌がりはしないが、楽しむでもなく、お母さんに行けと用意されたから来ましたという感じで、自分たちから思いついたのではないイベントはシラケるばかり、それを母に訴えると、何事も練習だとまた指導されるというのの繰り返しだった。
二人でお食事とかって、お父さんとお母さんのような夫婦じゃないんだよ。何度挑戦しても結果は同じで、私達夫婦にはもうちょっと自堕落な時間を共有する方がいいのだとその度に思う。
得意満面に鉛筆と新聞を握りしめて目の前に座っている母。
断りはさせないぞという構え。
きっと「こりゃいい」と即、電話をしたのだ。
そうだわ、あの子ぼんやりしてるから、たまにはこういう時間をこっちから強引に作らないと。
どこにいても私のことを想う母。
厚くうっとうしいほどの視線は揺るがない。
深い愛だとやっと、やっとわかる。
「ありがたいけど、あの人といってもそう楽しくないわ。あの人とは家で一緒にぐうたらしているのがいいのよ。せっかく二人取ってくれたならお母さんと私とで行こうよ。」
母の目がくるっと光った。ほっぺたがツツッと上に上がった。
「え?あ、そう?」
「ずるいけどそのお代、私に出させてよ。それで私からの母の日ってことにさせてよ」
「そう?あら、じゃ、もっと早くから出てどこかブラブラしてから行く?」
「いやいいじゃない、食事の時間に合わせてゆっくり家を出て、その後どこかブラブラのぞいて帰れば。あの人、お母さんとなら、夜、いくら遅くなっても大丈夫だし」
あら。そう?じゃあそうする?
ホクホクする母が張り切っていくのを恐怖心でなく可愛らしいと思う。
どんなに抵抗しても揺るがない強いうっとうしい眼差し。
愛だったのだ。
ありがとうございます。