お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

スイカ

「今日はどちらにお泊り?」

「あ、今日はもう、二階に部屋を予約してるんで」

「そう、当日ドタキャンすると全額戻ってこないからご注意あそばせ」

「やっととれてさー。なかなか部屋空いてなくてさ」

「あら、毎晩空室、見ましたよ」

5日目にしてご宿泊の朝でございます。

 

昨日、母と祖母のところに行った。

「なんか、もう、あんまり食べないし、息もハアハアしてダメなのよ。もう、いつ死んでもおかしくないわ」

前回一人で行った母が帰るなりそう言いにきたので、様子を確かめたかった。

母は母で「私一人だと怖い」という。いつ目の前でスウッと逝ってしまうかと思うらしい。

人はそんな簡単には死なない。と、私は思う。

そして、矛盾しているようだが、祖母の場合それがいつ来ても、自然現象のように思う。それくらい、どこも患うことなく綺麗なままの102歳だ。

午後2時だというのに、祖母は自分の部屋で口を大きく開けて眠っていた。産まれたての赤ちゃんのようだ。1日の大半眠っている。

真っ白になった髪の毛のなかにわずか数本、黒いのが残っている。

全体の白に対して、このまばらにある何本かの割合が、おばあちゃんの残りの時間の割合のようにも思え、そっと撫でてみる。ぴかぴかピンク色に光った地肌が透けて見えるその頭は小さく暖かい。柔らかい赤ちゃんのような髪の毛だった。

眼が覚めると「あら!」と言った。あら!っと声を発生した、ただそれだけなのに、その張りと大きさにホッととする。

好物のスイカなら食べると思うと、私が買ってきた季節外れのものを母がそうっと目の前に差し出したのを見つけると、ニーッと笑った。フォークを自分で持ち、かぶりつく。目をつぶり身体中をつかって噛む。一口入れては目を閉じたまま噛み続け、疲れるのか時々止まって動かなくなる。まるでゼンマイが切れたようにピタッっと動かない。まさか、死んじゃったんだないだろうねと、母ではないが一瞬焦る。私が提案したスイカが原因で死んじゃったらどうしよう。でも好物を食べながらの最後ならそれもいいかもしれない、などと脳裏をよぎる。

やがてまた、思い出したようにゼンマイはゆっくりと回り始めた。

「もういらないのよ」

母がスイカの入ったタッパーをカバンにしまった。

やっと口が空っぽになったので、もう一度タッパーを取り出し、フォークに小さな小さなかけらを差して見せてみた。物忘れの激しくなった祖母は、今、食べたことをすっかり忘れて、また、嬉しそうにニーッと笑う。そして、また延々ともぐもぐやり、途中、止まり、また動き出し、飲み込む。

二センチ四方のかけらを、三つ、食べた。

肩で息をし、目を閉じ、全身全霊身で食べた。

そこで私に気がつく。「あら!」。シワシワの顔をもっとシワだらけにしてニーッとまた笑ってみせる。

それだけでもうおしゃべりはしない。小さく小さく頷いて、また目を閉じる。それは瞑想しているような静かな景色で、神さまに返って行く途中の人のように透明に見えた。

ニーッと笑い、もぐもぐ食べる。ただそれだけなのに見開いた目にはまだ、力がある。

生きていること。そこにいてくれること。

緩やかに緩やかにtouchdownに向かっている。