ホントの筍ご飯
筍を買ってきて茹でてみた。
お恥ずかしながら専業主婦25年、はじめての試みである。
筍ご飯や青椒肉絲を出すたびに
「俺やっぱ筍好きだわ」
と満足げに息子が言うのを聞くたびに、うっすら罪悪感を感じていた。息子よ。それは加工された水煮筍だ。ほんとうの筍は春、皮付きのものを家で茹でるんだよ。おそらくもっと風味があるはずだ。
一度でも家でそれをやっていたのなら、水煮の商品も「季節はずれでも便利なもの」としてなんの引け目も持たずに使えるのだが、一度もやっていないとなると。
そうだというのに毎年春先に生筍が店頭に並ぶと、大変そう、めんどくさそうむずかしそうと見て見ぬ振りをしてきた。そんなとき「あら筍」なんて呟きながら品定めをし、さっと買い物カゴに入れていく方をお見かけすると、ああ素敵だと憧れる。
あの人は季節の移ろいを自然に食卓に取り入れることができるんだなぁ。季節がくればラッキョウや梅干しもきっとこしらえるんだろう。などと妄想を膨らますのだ。
失敗したらそれも勉強だと思ってとにかくどんなものか、やってみよう。
茹でで、あれを作ってこれも作って、保存方法は・・・などど考えるから気負ってしまう。
やってみるべし。
店頭に茶色いトンガリ頭の生筍たちが並んでいるのを見て、なぜか今年はそうスイッチがはいったのだった。
さっそく調べたとおり筍の先端を斜めに切り落とし、切り込みをいれ、鍋に入れる。
灰汁をとるための糠がいると思いそれも用意していたが、圧力鍋できるのだと知った。圧力鍋だと糠は詰まりのもとになるので使わず、米粒一握りを一緒にいれるといいらしい。水だけでいい。切って水の中に入れ、火をつけて圧がかかったら15分。思っていたよりも簡単だ、なんだ、私にもできるじゃんと既に一人、できる主婦気取りである。
しかし思わぬハードルはこの後だった。
茹で上がった筍の皮を剥くのだがどこまで剥いていっていいのか手探りで正直わからない。
トウモロコシのようにペロペロっとめくればすぐに美味しいところがでてくると思いきや、なかなか柔らかいところが見えてこない。そうこうするうちに手に持っている筍はどんどん小さくなっていく。これ、どこまで皮なんだろう・・一枚剥いてはじっと目を近づけ確認する。まだ出てこない。また続ける。これを繰り返してそのうち実の部分もなくなちゃうんじゃないだろうかと不安になり始めた頃、ニョキッと柔らかいところが現れた。思い切って大きなものを選んだつもりだったが、店頭で買ったときのに比べると遥かに小さくなっていた。
そうか。筍とはそういう食材なのか。
息子の手前云々よりも、自分の学びのためになる。
余ったらどう保存しようなどと考える必要もないほどに小さくなった筍を出汁と味醂と醤油と酒とでさっと煮る。油揚がなかったので鶏肉を少し一緒に入れた。具と煮汁を分けて炊飯し炊けたら筍、鶏肉をその上に乗せ蒸らす。
一応、正統派筍ご飯。
風味が違うだろうという予想とは違い、なんというか、米の間にある筍が力強い。
おいしい。
あとからYouTubeでみなさんの手順を見ると初めから皮を剥いている人が多い。何人ものお手本を眺めているうちに新たな意欲が湧く。
もう一回やればうまくできる気がする。
今度はもっともっと大きいのを買ってきて、保存用も置いておきたい。
自分で茹でた筍が冷蔵庫に仕舞われている、という構図にただ憧れる。