お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

シンプルになっていく

夫が兵庫へと昨日の朝、また戻った。

母と姉は明後日の夜、帰ってくる。別に日常が戻ってくるだけなのに、なぜか「貴重な二日間」と思う。

昨日の日曜はいい天気だった。

一人でゴロンと床に寝っ転がっていると、瞼が重くなってくる。いつもならここでうっとり眠りに落ちるのだが、うとうとしては「いかん、これで1日が終わってしまう」とガバッと起き上がる。が、眠い。あとちょっとだけ。

いかんいかんと思っていながらうつらうつらする瞬間はどうしてこんなに気持ちいいんだろう。よくよく考えると、誰もいないのだし予定もないのだから、思う存分眠ればいいのに、頭の隅で、そんなの勿体無いとブレーキをかける。

 

結局、祖母に会いに行った。リンゴを剥いて持っていった。祖母の部屋でベッドに二人で寝っ転がって、リンゴをかじる。戦時中の話や戦後、商売をしていた頃の話をしてくれる。

「結婚したばかりの頃は良かったんだけどね。戦争がいけなかった。あれで全部おかしくなっちゃった」

家が焼け、何もなくなった生活を聞いていると自分だったら乗り切れるだろうかと思う。何にもないのだ。家も、食料も、安全の保証も。来る日も来る日も、終わりのない不安の中での夜明けを何度も何度も迎えるのだ。いつ起きても、悪夢の中にいるようなものだったのではないだろうか。

「泣きたくなったりしたときもあった?」

祖母は一瞬、キョトンとした目をして私を見て言った。

「そんな、だって生活しないと。そんな暇もないわよ。考えてる暇も。だって生きなくちゃ。とにかく生きないとならないんだから」

そんな暇もない。

そうだなぁ。私の些細な引っかかりごとなんて、この話の中では「へっ」ってなもんだ。ゆっくりゆっくり頭の中で反芻する暇がある程度のことなのだ。

 

最近、頭の中をとにかく気分良くする方向に導くようにしている。

しちゃいけないことなんて、そうそうないし。

こうなったらどうしよう、ああなったらどうしようっていうのも、実は意味がないということも気がついてきた。

今しかないのだ。未来も妄想の中でしかないし、過去も記憶の中でしかない。

あるのは今。今。今。

とりあえず今を平和に。

深刻にならないで。意地をはらないで。怖がらないで。

自分をジャッジしないで。

今を平和に生きる。

それを続けて私も101歳になったら孫に言うのだ。

生きるってそれだけよ。