常識をきく
夫の異動に伴い、今の職場の人達にお別れのご挨拶に回る時に配るお菓子を買いに行った。
「25日にはこっちに届くものは全部そっちに送ってもらうように届け済ませたから」
と言うので、それまでに着かないとならない。昨日、大掃除をしてヘトヘトなのと、外は雨なのとで月曜日でいいやと思っていたところに、夫から電話が入ったのだった。
どこそこに何人、どこそこは何人、と言うのをメモをする。
「おせんべいの小袋とか、そう言うのでいいんでしょ?」
「う〜ん、ま、任せる」
そのう〜んは、嫌だのう〜ん、なのか、悩んでいるう〜んなのか。こっちとしても「うん、それでいい」と言ってもらえれば悩まないで済むのだが。
要するに二人ともよくわからないのだ。
「わかった、こっちでやるから。任せろ」
「頼んます」
そうは言ったものの。
パソコンで【職場、挨拶、お菓子】と検索するとズラっと出てきた。
あるある。ほほう。おせんべい、やっぱりある。小袋になっているとね、いいんだよね、配りやすいし。バームクーヘン、チョコレート、ラスク。
やはり特別気負ったものでなく、日持ちがして小袋になっているものがいいようだ。いつもの感じでいいんだな。
待てよ。これまでの休み明けに職場の皆さんに持っていくのを選ぶのと今回のとでは大きな違いがあるではないか。
あちこち持って回る。背広を着て、これらを手にぶら下げ、あっちの支店、こっちのお得意様、と何箇所か一日の短時間に回るのだ。おそらく仕事の資料なども別に持って歩くだろう。車ではなく電車移動だからできるだけコンパクトで軽い方が良い。
煎餅、ラスクは軽いがかさばる。バームクーヘンは思い。チョコは小袋のが少ない。重さを考えると缶入りよりは紙箱。
ムムム。ここはひとつ、往年の転勤族サラリーマンの妻、母のご指南を仰ぐか。
隣の実家の母のところに顔を出す。
テレビで映画を観ていたが、ちょっと教えて欲しいと言うと、パッと振り向いてテレビを消した。
状況を説明し、何がいいと思うかと尋ねると、張り切った母はメモ帳とペンを取り出し
「なになに、もう一回、人数、言って」
と書き留める。定番すぎるけどあそこはどうだろうと、どこのデパートでも売っているお手頃なクッキーを言うと
「そうねぇ。それもなんかねぇ・・和菓子とかないの?あ。羊羹は?小さい一口サイズの羊羹、あるじゃない、あれ喜ばれるわよ。虎屋にあるじゃない」
・・・・。食べる文鎮だぞ、あれは。そして、予算が追い付きませぬ。
「ありがとう、ま、これから行ってくるわ」
「別にあのクッキーでもおかしくないわよ、いいじゃないそれで」
日曜の渋谷のデパートはごった返していた。地下売り場の店舗を見て廻る。
目星をつけていた店はやはり数も種類もまあまあ無難なのが揃っていた。
念の為、煎餅、ラスク、チョコレートと偵察に行くがピンとこない。やはりどれも嵩ばるのだ。
和菓子はどうなの?甘いものって意外と喜ばれるのよ。
ふと、近所の自由が丘の和菓子屋が入っているのを見つけた。ここは駅前の本店にいつも行列ができていて、私も何度か買ったことがある。そこに小さな一口サイズの繭最中が紙箱に綺麗に並んでいた。数も言われた通り、10個入り、20、30とピタリと揃っている。
「あの、これ、職場に配るの、おかしいですか?」
「いえ、皆さん、大人数の職場の方などがお使いになられますよ」
こう言う時の皆さんお使いになっていますと言うのほど、心を支えるものはない。このような場合は個性はいらない。夫が去った後「なんだこれ、こんなのもらってもねぇ常識はずれだ」と迷惑がられないことが重要なのだ。
常識ってなんだという反骨精神を論じるよりも、夫が恥ずかしい思いをしないほうが大事。
じゃ、これ、お願いします。とそれぞれの個数の入った箱とその数を指定し、送り状を書き、25日までに届くことを確認し、支払いをする。
「お熨斗はどうしますか」
「皆さんはどうしてますか」
「お礼とする方もいらっしゃいますが、大抵の方は無地熨斗ですねぇ」
「じゃ、それで」
「お名入れはどうしますか」
「皆さんはどうなさってます?」
「ご自分で持っていかれる場合は、書かないですね」
「じゃ、無しで」
「お熨斗は内にしますか、包装紙の上にしますか」
「皆さんは」
「控えめに内熨斗になさる方が多いです」
「じゃ、それでお願いします」
短い時間にきゅうっと頭を使い、どっと疲れたところに電話が鳴った。
「あ、お母さんだけど、やっぱりあのクッキー、違う方がいいと思って、買っちゃったならしょうがないけど」
あれから映画を観ながらずっと引っかかっていたのだろう。ありがたい親心にホワンとする。
「ありがと。今、違うのに決めて買い終わったところ。店員さんが皆さん職場の挨拶回りに使っていますって言うからいいかなと思って」
「そう、それならいいわね。またあなた一人でとんでもないもの選んだら大変だと思って。何しろ常識がないから」
だまらっしゃい。