あの悲しみは
今朝、朝食を済ませてぼんやりとテレビを見ていたのだが、どの番組も面白くない。
子供の頃、学校を休んだ時、みんなが家を出た後、一人遅い朝ごはんの時にテレビのワイドショーが見られるのが嬉しかった。結婚してからも夫を送り出してからやれやれと、お盆にご飯を乗せてテレビの前に陣取るのが私のお楽しみだったのだが。
なぜ、面白く無くなったのだろう。
ワクワクしてテレビの前に陣取っていた一番近いところの記憶は、息子が幼稚園の頃、若貴兄弟がもめていたときだ。
何が起きたんだろうという、好奇心から連日テレビに釘付けだった。
今はスキャンダルを見ると気の毒になってしまって辛い。
パチン。
テレビを消す。静かだ。その静かさにホッとする。
本を読む気にもなれず、ラジオも気が乗らず。
・・・・。
なんか、気分が落ち込みそうだ。なんだか切ない。かなしくなってきた。
やばいやばい。こういう時は理由をほじくっちゃいけない。
理由はないんだ。疲れているとか、寒いとか、そういうことが原因だったりするのに、ほじくってもっともらしい答えを探りだすと本当にそういう気になってしまったりしてドツボにはまる。
日に当たるべし。鬱々には陽の光。
窓を開け、庭に降りで草をむしる。
ポケットにラジオを入れて背中にお日様を感じながら土をほじる。
頭がいい人でなくてよかった。
私の脳みそは、いっぺんに二つも三つも考えられないようにできているので、始めたら目は草を探し、手は根っこの手応えを探る。
熱中して、1時間半。元気のなかった花を植木鉢に植え替えジョウロで水をやったらこざっぱり春らしい庭になった。
知らないうちに太陽は高く上がり明るく暖かい。
水に濡れた土の匂い。
あの悲しみはなんだったんだろうなぁ。
ま、いいや。