お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

母さん気をつけろ

「これ、母さん気をつけろよ」

テレビを指差して息子が言った。

「年号が変わるとこれまでのキャッシュカードが使えなくなるので、交換するから今使用している物を送付するように」という内容の書類がナンタラ銀行財団というところから家に届く詐欺の話だった。

画面一杯にその嘘書類が映し出されている。

確かに。危なそう。

以前にも聞いた事のない法律事務所から「5000円の未払いがあるから早くここに振り込め、さもないと裁判所にこの案件はいくぞ」というハガキが突然届いたことがある。

私は覚えもないのに震え上がった。うっかり忘れていたが、なにか入金を忘れていたのかもしれない。自分だったらやりかねない。

あまりの恐怖に夫に見せると

「破って捨てなさい」

と一括された。

「そんな、破ってもし本当だったら訴えられちゃうじゃん」

「ないないないない。こんなうさん臭いもの反応しちゃ駄目、トンさんやめなさいよ、僕がいないときこっそり確認とかいって電話とかするの、あっちの思うつぼです。やめなさいよっ絶対。電話とかメールとか。よしなさいよっ」

夫の迫力に押されこのとき言えなかったが、実は私は結婚前、だまされた前科がある。

あれはたぶん・・だまされたのであろう・・・かもしれんと思う。

結婚する半年ほど前だった。近所を歩いていると向こうから歩いて来たおじさんに話しかけられた。

背広を着て、身なりもきちんとしている。

「あのう・・・。突然のご無礼をすみません。実は財布を落として今無一文なんです。これから千葉の家に帰らなくてはならないんですが、失礼ですがお金を貸してもらえませんか」

こうして今、客観的に思い出しつつ書いていると、やっぱりあれは詐欺だったんだ。恥ずかしい。

が、当時の私は人を疑うという事をほとんどしなかった。

「それはお困りですね。いくらあれば・・」

「3000円ほどでいいんですが」

このおじさん、家に帰れないんだ。家族が待っているだろうに。

バカな娘は迷わず財布を開き、千円札を三枚渡した。

「お返ししたいのでご住所を教えていだだけますか」

さすがに自宅の住所を知らせるのは抵抗があったので、電話番号をメモして渡した。

一週間、二週間、三週間、三ヶ月、半年たっても音沙汰なく、私は嫁いで家を出た。

誰にも話していない黒歴史だ。

それでもあのとき、思ったのだ。

もしこの話が本当で、この人がいい人で返すつもりでいて、切羽詰まっているのだとしたら。

ここでお金を貸さないことで、この人がだれかを脅したり殺したら。

貸さなかったばっかりに自殺したら。

断って誰かが死ぬってこともあったかもしれないと、これからずっとひきずるくらいなら騙された方がいい。

この人に声をかけられたこと自体が災難だったとあきらめよう。

恐るべき世間知らず。

あれからだいぶ私も「むむむ」という事案に遭遇し、世の中そんなにシンプルではないと知った。

いい人、悪い人だけで判断できるほど単純ではなく、あらゆる事象と事情が絡み合ったこの世界。

もっと単純になったらいいのに。

 

結婚してすぐのとき、夫に言われたことがある。

「いい、もし僕のいないときに消化器とか買ったら怒らないからすぐ、その日のうちに話してね。布団とか、なんでも。絶対隠さないでね。どんな高額でもだよ、怒らないから」

ふん、そこまで馬鹿じゃないわよと、内心思っていたあのころの新妻は、まだこの3000円は詐欺だったとは思っていないほどの大バカものだった。