お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

今なんだ

 

貯める癖がある。

お腹が空いていても「もっと空かせて夕飯の時ガッツリ食べよう」。眠くてだるくても「今は耐えて、やること全部やってから思う存分ダラダラしよう」。綺麗な服を買っても「しばらく着ないで今度お出かけの時、着よう」

よくよく考えると、いつも願望を先送り。

この間は大好物の芋ようかんをもらったが、そのまま冷凍庫にいれてしまった。生物だから傷まないうちにと焦って食べるのが嫌で、ひとまず凍らせ気の向いた時にちまちまゆっくり食べようという算段だ。

食べごろ、休み時、衝動、旬は過ぎていく。

ちょっとのつもりで箪笥にしまったり、タイミングをずらすとあの時素敵と思った服もそれほどワクワクしなくなったり、あれほど何か食べたいと思っていたのも、疲れ過ぎて何を食べたいのかわからなくなったり、本来求めていたときめきや満足感を味わい損なう。

貯めて貯めて貯めて、焦らして焦らして焦らして、さあ、と思った時には「あれ?」となっている。

夏の炎天下、喉の渇きを我慢して我慢して我慢してから喉をゴクゴク鳴らして水を飲んだ時にはすでに脱水症状になっているのと似ている。

もっと美味しく味わってやろう。

もっと深い至福になるに違いない。

という卑しい根性がそうさせる。

 

今なんだ。

食べたいのは今。

横になりたいのも今。

本を読みたいなと思ったのも今。

サボりたいのも今なら寂しいのも今。

自分を大事にしてやるっていうのは、そういう小さなものに丁寧に応えてやることなのかもしれない。