お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

使っていなかった知らなかった嬉しかった

掃除機を買った時にたくさんホースがついてきた。

一つは通常の床掃除用。一つは延長ホース。それに取り付けるブラシ付きのヘッドに隙間ノズル。布団用のヘッド。そしてもう一つ、ブロウ用のノズル。

実はこの掃除機を購入したとき、体の調子が思わしくなかった。新しいマシンを手に入れた勢いで毎日の掃除が楽しくなったものの、これらの付録のようなヘッドの数々を試すこともなく、使っていなかった。

一度だけ、布団用のものをつけて、本当に埃やノミが取れるのかと試してみたが、適当にシャーっと息子のマットレスにかけてみただけで、それっきり。やり方はわかった、追い追い、使いこなそうとまた、備品をしまうバスケットに放り込んだままでいた。

それでも引っかかりはずっとあった。ブロウのヘッド。

どうもこれを取り付けると吸引ではなく、送風に変わり、埃を吹き飛ばすことができるらしい。うっすらとテレビの通販番組でやって見せていたのを覚えている。番組では窓のサッシに吹き付けていたが、これを見たとき、「これは庭の落ち葉に使えるんじゃなかろうか」と思いついたのだった。

届いたとき、これがそのノズルだとはすぐわかった。ただどこに取り付けるのか、すぐにはわからない。他のものは説明書を読むまでもなく、ただ「ここだろう」と思うところに繋げばそれが正解なのだが、この機能は勘では繋げない。体がしんどかったので、いずれゆっくりやろうと説明書を大事に仕舞いこみ、ノズルはバスケットに入れた。

 

昨日、夫が帰ってきた。

昨日は泊まらず3時に着いたら夕飯を食べて風呂に入り、10時にまた戻って行くという強行軍だった。わずかしかホッとする時間がないのに、景気の悪い話をしなければならない私は一瞬、来週にしようかと迷う。

いかん。私が逆の立場だったら、早く言えよと思うだろう。言い訳禁止。延期禁止。雨天決行。

「あのさ。病院行ったらさ」

「どした」

それまで鼻歌を歌っていた夫が急に悲しそうな、気の毒そうな、深刻そうな顔をしてこちらを覗き込む。話す前からそんな表情しないでくれ。申し訳なくて言いづらくなる。

検査結果を単刀直入にバッサリと言った。できるだけバッサリと。

「トンさーん・・・大丈夫か」

「申し訳ない。いつもいつも、よくない話で。頑張るから」

そう言いながら、何をどう頑張ればいいのかわからんがと内心思う。

「頑張るな。頑張らなくていいから。そのままで。いつも通り、トンさんはただ存在していればいいから」

これまで夫が言ってくれた励ましの中でいちばん私を解いてくれた言葉だった。

それでいいから。そのままでいいから。

子供の頃から体調が悪いことに関しては、いつも母を不機嫌にさせてきたので、正直なところ、夫も眉をひそめたくなるだろうと、いたたまれない気持ちでいた。

単身赴任して頑張って疲れているところに妻の体の不具合なんて聞かされ、勘弁してもらいたいと思うのが当たり前だと思っていた。

「ほんというとさ、これ聞いた日はさすがに落ち込んでさ。やっと持ち直してきたところなんだ。でも、頑張るよ、やっぱり」

自分が落ち込んだということを伝えるのも初めてだった。私はいつも大丈夫大丈夫と言って心配をかけないことに注意してきたが、今回はそのつっぱりすら、できなかった。

夫の思いがけない反応に気が緩んだのかもしれない。

「大変だったんだな。頑張るな。今のままでいなさい」

ほんの10秒に満たないやりとりだった。あっけないほど短い。

夫はそのまま何事もなかったようにテーブルに向かい、テキストを読む。その合間に会社であったことを笑いながら話す。

いつもと同じ時間が戻った。

私はなぜかそのとき、掃除機の備品の入ったバスケットを開けた。そしてブロウ用のノズルを見つけたのだった。

「これさ。どこにつけるかずっとわかんなくてさ」

夫もできるだけ負の話題から離れたいのか、どれどれと見にきた。

ここじゃない、ここでもない。二人で床にしゃがみこんで接続場所を探るが見つからない。説明書はないの?それが大事にしまったんだけど、どこだか忘れた。今日はもういいから、また今度にしなさい。いや、きっと見つけてやる。

夫はテーブルに戻る。一人であれこれいじっているうちに、ついに見つけた。ホースの取り付け口とは慣れた場所にあったのだった。

「やったぜ。見つけた!ここだ、これ。」

繋いで、風が吹き出すのを夫に見せた。おお、と適当な相槌をうち、チラリとこっちを見た。急にいろんな感情が湧き上がる。

嬉しい嬉しい。嬉しい。喜び喜び喜び。

「わーい、そうとなったらちょっとやってみたかったんだよね」

さっそくマシンを抱え庭に出て行く。

「やめなさい、じっとしてなさい」

夫が窓のとことに立ちながらこっちを見ているその前で、庭の玄関までのアプローチの隅っこに溜まっている落ち葉を吹き飛ばす。

吹き飛んでいく。面白いようにパァッと飛んで行く。

嬉しくて嬉しくて飛ばしまくった。

「もういいから中に入りなさい」

使われていなかった機能。こんなにもいいものだったとは。

これからはどんどん生活に取り入れよう。どんどん使おう。せっかく持っているんだから。こんなに気持ちが晴れるんだから。

 

時間差でなぜか涙がやってきそうだった。

悲しくないんだから泣くのは違うなと思って掃除機を止め家に入り、二人分のコーヒーを淹れた。