お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

サボり

午前中は一階リビングで、午後は二階で。

今日は一日中テレビを見ながら寝て過ごした。

なんという充実感。

 

午前中朝食の後、横になっていたら夫から電話がかかってきた。

体を起こしたが携帯を取りに行くのも億劫なほど足が重い。

1度目は間に合わず、取り逃がした。するとせっかく携帯を手にしたのに今度は家の電話が鳴る。

ほんの数歩のすぐそこなのに、そこまで行くのが面倒で無視をする。鳴り止む。

また携帯が鳴る。夫と話す。

内容はおはようとか、今日はどうするとかそんなことだったが、途中から返事をするのすらしんどく、何を言われても「はいはい」「よかったね」「そうかいそうかい」を繰り返していた。

電話を切り、これは相当あるのではと熱を測るとは7度2分。微妙。

8度近くあれば堂々と寝込めるのにと、念には念をで何回も計り直すが、頑として7度2分。

仕方ないので風呂掃除を始めるが、手に力が入らない。下を向いて頭まで痛くなりだした。

ものに捕まらないと歩けない。

このあたりでようやく気づく。これは、おかしいのではないか。

 

今日は使い物にならん。寝て過ごしていい日にしよう。

どこから「本日休養」としていいのか、よくわからない。

そんなもの勝手に自分の体のいうとおりにしていればいいというが、それがうまくわからない。

いつからかスッキリ絶好調という状態で朝を迎えることがない。多少の不具合は日常なのだ。

どっから療養でどこからが怠惰か。

今日のように歩けなくなってからようやく自分を許してやれるというようでは、まだまだ変な力が入っている。もっとおおらかに素直に自分の弱さを受け入れてやりたい。

もう誰も私を責める人なんかいないのだから。

いたとしても、構わないのだから。

まだ、オールを握りしめている。

なんとか舵取りをしないとどこかとんでもないところに流され戻れなくなるのではと、恐れている。

オールを捨て、丸太ん棒に乗っかって流されていくように。

来る波来る波上に下にへと揺れながら、落ち葉が流れていくように。

何事にも逆らわずこの河を下って生きていこう。

 

丸々一日だらっと過ごしたら、夕方には頭がスッキリした。

気持ちも思いがけず、晴れ晴れとしている。

そうか。休むとはこういう効果があるのか。

休むっていいもんだ。

 

夜、息子と食べる水炊きが、いつもよりやたら美味しく感じた。