ゆっくり歩くと見えるもの
祖母の葬儀が終わったとたんにガクッと気を張っていた反動がきたのか、暮れからどうも調子がよくない。
体重が減り、主治医もちょっと気になると細かく検査してもらったが、さして重大な問題はなかった。
「ちょっと過労気味かな」
それだけだった。
ここはくだらないマイルールなど一旦捨てて、しっかり身体を整えようと、まず、毎日8000歩をやめた。
しがみついていた、毎日のトレーニングの散歩。これさえやれば、あとはダラダラしてよし、と自分で決めていた。
言い換えれば、これができないと、安心して自分を怠けさせることを許せない。ある意味強迫症気味だったのかもしれない。
コースを半分にし、夕方買い物に行くと、6000歩前後。
はじめの一週間はこれでもドキドキと不安をこらえ、サボりたい心に従っていたが、本来の怠惰を愛する性質がムクムクと幅をきかせだし、あっという間に、4000、2800と歩数は減っていった。
一度、崩れたらもう頑張れない。
これもリバウンドというのか。
このところは午後の暖かいうちに行くスーパーの往復くらいしか出歩かない。今日も1780歩だった。
家にいる時間が増えると、小さな家事を意外とする。
電気コードの絡まりを一旦全部はずして、直したり。
洗濯物を丁寧にたたんで、タンスの中をすっきりさせたり。
鍋の取っ手のぐらつきを締め直したり。野菜をゆでて冷蔵庫にストックしたり。
やってもやらなくてもそう、支障もないし、誰も気がつかない程度の隙間家事だが、なぜだろう、こういったちまちました作業をする毎日は心が落ち着く。
一日中台所に立っている訳でもなく、掃除をしているわけでもない。録画していたドラマを見終わると、鍋を火にかけ、本を読みかけてはそうだと、急に納戸を片付け始めたりする。
今日はこれをやるぞと決めていない一日は、私のリズムに馴染む。
プレッシャーもノルマも決まりもない。
やりたくなった思いつきのまま過ごす日々。
昨日の晩7時過ぎ、息子が鍵をもって出るのを忘れたようで、インターフォンを鳴らす。休みで遊びに出た姉が、いつもより早く帰った夕方早々に門の鍵をかけ、閉め出されたようだった。
頑張っていたときは、こんなとき、立ち上がるのすら億劫で「やれやれ、なんだ、こんな時間に」と尖った気持ちで応答していた。
怠惰な毎日で、身体に無理がないと「あらら、かわいそうに」と、玄関を飛び出し門まで小走りで行ってやる。
些細なこの違いで、大きくなにかが変わっていく。
「おかえり、寒かったでしょ」
「閉め出された」
「ははは」
庭から玄関までの数メートル、空にまんまるい月が見えた。
「ほら、スーパームーン!いつもより大きく見えるんだよ」
「やべ、でかっ」
「スーパームーンだもん」
それだけ。
立ち止まりもせずそのまま家に入る前の数十秒。
いつか満月を眺め、大学2年の息子と冬の夜、庭で大きな月を見たなぁなんて、懐かしむだろうと思っていた。
そんなことあったっけと思うときがくるんだろうと感じたその瞬間、不思議と幸せだった。