お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

感じ取る

一日、家にいることにだんだん慣れてきた。

意外とどこかでそんな自分に安心している。

動き回っていないと、自分を許せず、とにかく有意義な時間をと焦って、1日を正当化しようとしていたが、なにもせず、1日ゴロゴロとベッドに転がって本を読んだりユーチューブを見ては、合間合間に家事をちょろっとする怠惰な毎日も、なかなか味わい深い。

こんなことが許される環境と立場にいることをありがたいと思う。

まだ、うっすらと背徳感に襲われる瞬間もあるが、心が「嫌だ」と言っているうちはしばらく、この生活を続けてみようか。

本を並行して読むと、複数の人と語り合った気分になる。

野良猫が家の軒先で子猫を生み、猫を飼うことを嫌がっていたのに、ついつい、子猫の命を守るため、玄関に、居間にとあげて、しまいにはメロメロになっていく母娘。

変化を受け入れるということは、人生を面白がることだよと語る詩人。

仕事はお祭りにしてみんなを巻き込んで面白がってやるんだという、敏腕プロデューサー。

私はある作家を好きになると、当面の課題を見つけたとばかりに、その人の作品を片っ端から読んで、その人を知りたいとのめり込む方だったが、単純なので、すぐ、その人の思想に感化され、自分と照らし合わせては、改良しようとしてきた。

ぎゅっとのめり込む高揚感を、充実感だと錯覚していたからかもしれない。

今は、テーマも何もなく、その日その日の気分で読んだり観たりしている。

こだわらず、複数の人の語りを聞いていると、思想も価値観も生活も、本当に多種多様だと感じる。そうすると、自分もその大勢の中の一人として、こんなぼんやりした人間が、不器用に暮らしているというのも、ただそれだけのことか・・・と思えて気が楽になるのだ。

競ったり、秀でたり、認められたり。

そういう世界があっていい。あるからこそ、文化も社会も経済も開けていく。

それを「へぇ」と眺めさせてもらいながら、今晩の夕飯は何にしようだの、今日も300歩しか歩いてないだのと、この小さな家の中で生息する命。それが私。

 

でもね、

自分の命が劣っているとは

思わないことだ

なぜなら

命は誰にも

劣っていない

比べたって

他の人とちっとも違わないんだ

この「事実」をしっかり感じ取ることだ

 

加藤祥造【受け入れる】より抜粋

 

この「事実」をまだしっかり感じきっていない。

恐る恐る、どうもそのようだと思い始めたところ。