お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

支えるということ

夫が帰って行った。

一泊の割に、負荷が重かった。

「はぁ〜・・・・。」

ため息をつく。夫のため息は子供と似ていて、突っ込んでくれ、どうしたのと言ってくれと待っているのがわかる。

その度にわたしは陽気な声で「なんなのよ、辛気くさい」と水を向け、彼が胸の閊えがなくなるまで、ダラダラとはなす。

「なるようにしかならないじゃん」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

と強気に返事をし、何事もなかったかのように家事にもどる。

 

大事な人が弱っていると、すべてを投げ出して全力でかばおうとする癖がある。

反射的にとにかくその人を守ってあげたいと思うのだ。

夫は違う。

どんなに私が弱っても、手を貸さない。話してごらんとも言わない。

なにげなく、気を使ったり、優しくしたりもしない。

どんなときも、フラット。自分が忙しかったり疲れていれば先に寝るし、行きたいところがあれば、出かけて行く。

それを寂しく思うときもあったが、いつもどんなときも同じということは、私のコンディションがどうであろうと変わらない。決して責めたりめんどくさそうにもしないのは、ずいぶん私を救ってくれた。

今、そうとう仕事で追いつめられているようだった。詳しくはわからないが、言葉の端々から感じる。

この人は、精神的に疲れてくると遠慮なく私によりかかる。まるで子供がお母さんに不安や迷いを洗いざらい話すように、心おきなく話し、ため息をつき、脱力して、そしてまた元気になって闘いに戻る。

受ける私は実はそれほど強くはなくて、夫がペースを取り戻した頃、いつも身も心もスカスカになっている。すべてを吸い取られたかのようにスッカラカンで、使い物にならない。

今回のため息の原因は追わなかった。

聞いてほしそうにしていたが、こちらからほじくったりしなかった。

思わせぶりなため息が鬱陶しくなったら黙って席をたった。

陽気なテレビをみて、笑っていた。

一泊だからと一緒に遅くまでつきあわないで、眠くなったら先に寝た。

ただ、食事中のため息も、台所仕事の行くとこ行くとこくっついて自分の話しをしてくるのも振り払わないことだけにとどめた。

ちょっと薄情かと思いつつも、辛いときだから優しくしてあげようと思うときにあった自己犠牲の心が無い分、夫の負のオーラ全開もそのまま自然に受けいれられた。

自分が助けてあげようなんて、上から目線の傲慢さがあったのかもしれない。

あっちにしてみれば、足下がぐらついたとき、そこにあるから無意識で掴まった手すりみたいなもの。

踏ん張って掴まり棒になるだけでいいのに、さらになにかをしてあげようとするから自分のすべてのエネルギーを使い果たしてしまう。

「私はあなたのお母さんじゃないんだからね」

一度、しんどくなってそう言ったことがある。

びっくりしてたが、勝手にお母さんを背負っていたのは私の方だったのだ。

思えば夫は子供が生まれてからも一度も私を「お母さん」とは呼んでいない。ずっと「トンさん」だ。

心許せる相棒にただ、漏らした胸の内に、勝手にどうにかしてあげなくちゃと、非常事態のように緊張して対応していたのは私だった。

今回の一泊二日の滞在中も、夫は遠慮なくエネルギーを満タンまで注入し帰って行った。

「ありがとう。元気になった。トンさんがいなかったらやってけないよ」

そっけない対応だったのに、今朝も同じことを言う。

いつもはすべてを吸い取られたあとのようにヘロヘロで、内心やれやれと思っている私も「へいへい。また疲れたらいつでもどうぞ」とするっと言えた。

なんにもしない。いつでも帰っておいで。

ご飯を一緒に食べよう。

話を聞いたりしないでも、ただそれだけでいいんだね。