いい波動の人へ
なんとなくシフトしている気がする。いろんなことがゆっくりと。
夫が帰省している8日間、今回は彼がのんびりしているところで自分もまったり過ごそうと、あらかじめいくつか作って冷蔵庫に入れておいた。
簡単なものばかり。麻婆豆腐、ミートソース、カレー、ラタトゥイユ、カボチャ、ブロッコリ、ジャガイモ、小松菜を湯がいただけ、イワシの蒲焼、ひじきの煮物。
これらをちまちま組み合わせて、あとは肉を焼いたりで乗り切った。
いつもは食材を買っておき、頭の中で今夜はあれ、あしたはこれと毎日ぼんやり考えていた。
滅多に家族と過ごさないのだから、せめて帰っている間くらいは出来立てを出してやりたい。作っているときの匂いや、温度も感じさせたい。
これは全くの私の独りよがりの美意識だった。
夕飯時に冷蔵庫から取り出したタッパーをおもむろに皿に移し、チン、チン、チン。
それまでベッドでグタグタしていた私がのそのそ起き出して、台所に立つ時間は30分ほど。
まず頭が休まる。いかにいつも頭の隅で献立のことをこね繰り返していたか。
そのくせ段取り悪く、作る料理は雑で大味になったり、時間に追われて食べる頃にはぐったりだったり。
今回のこの方法は、特に不満の声も上がらず、私自身、1日をゆったり過ごせた。
心が休まる。
頭を使うと心もせわしない。意味のわからない疲労感が残る。
すると発想も弱気だったり暗かったり、些細なこともあれこれ気に病む。
「ま、いっか」と吹き飛ばすにもエネルギーがいるのだと気がついた。
いつも頑張ればやれるときは、頑張ることにしていた。
自分に課したノルマのようなものがあって、それだけはちゃんとしようと、最低限の枠だけは守り、その日その日を納得することができていた。
ギリギリのギリギリまで体力を使いきり、寝る。翌朝、また這い上がる。
エネルギーの配分を見直そうと思う。
自分に課したノルマにエネルギーを使うくらいなら、その分、休養してチャージすることにしよう。余力を作る時間にするのだ。
エネルギーが切れた状態でテーブルについても、心の通った会話やユーモアが出てこない。
なんでもない、家族と過ごす時間に、横になりたい・・・なんて思うことも、今回は少なかった。
しょせん、マイルールなんて、自己満足だったのだ。私の場合。
自分に自信を持ちたくて、納得したくて、作り出したへんなこだわり。エゴ。
もっと自分を解放して、いいエネルギーを周囲に循環させて生きてみよう。
きっと私自身、生活が、毎日が、生きることが楽しくなる。
今晩夫は帰る。
つまらない。
つまらないと思うのは、私もこの休暇を楽しんだという証拠。
いつもは、ちょっと寂しい気もするけど、まぁ、やれやれ・・と、任務完了、みたいな開放感もあったから。
もう自分が役に立っているかとか、ちゃんとした人かとか、いい主婦かとか、どうでもいい。
いい波動の人になりたい。