お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

ごめんね悪かったね

鏡台を寝室に戻した。

退院して、納戸に引きこもった一年、次にまた一年、寝室に閉じこもった。納戸から寝室へと出るようにはなったものの、心は未だ死んだような状態だった。そのとき入れ替わりのように寝室にあった鏡台を今まで引きこもっていた納戸に排除したのだった。

結婚するときに親に買ってもらったもので、私の宝物だった。

やせ細った体、コケた頬、正気の無い眼。

三面鏡の向こうの私は「ほれ、これがあなたよ」と容赦無く現実を突きつける。

それが辛かった。

本を読んでいれば、ラジオを聞いていれば、目を閉じてぼんやりしていれば心は落ち着き全てを忘れられる。

当時はその束の間の夢の国から引きずり戻されるようで、受け付けられなかったのだ。

このブログを書き始める5年前のことだ。

 

南向きの三角の小さな出窓。そこを挟んで今、二つのベッドが並んでいる。夫と並べて置けるようになったのも、実はつい半年ほど前である。

彼のいない間に離された配置を夜帰宅して見つけたとき「あっ。tonさぁ〜ん、ベッド、離しましたねぇ〜。寂しいなぁ」とは言ったがそれ以上何も言わなかった。戻したときは全く何も言わなかった。

朝、ベッドメイクをしていたとき、「ここに鏡台があったらいいかも」とふと思った。

思いつきだった。

ダメだったらまた戻せばいい。納戸から、ガタゴトガタゴト何年かぶりに引っ張り出す。埃をかぶっていたのをゆっくりゆっくり拭きあげる。

「ごめんね。悪かったね。お待たせ」

鏡台も夫と同じく何も言わず、三角窓の脇に落ち着いてくれた。

部屋を出るとき振り返る。

あるべきところにあるべきものが揃った。

私の中の何かもあるべきところに落ち着きつつあるのかもしれない。