お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

ごめんよ

母と話していたときのこと。

息子の成人祝いで食事をと思っていたのだが、義父が都合がつかないということから、企画自体を延期した。体調がよくないのか、交渉をした夫とまた、喧嘩をしたのか、どうもなにかあるようだ。

とにかく、「今はやだ」というニュアンスなので、それではまた仕切り直しましょうということに落ち着いた。

それを聞いておさまらないのがうちの母だ。

「あら、だって、成人のお祝いはちゃんとするものよ。あちらのお義父さんが見えないならそれはそれとして、私は呼んでいただきたいわ」

もう、この圧だけでうんざりする。

「だから、内々のお祝いは今週やるでしょ。夫も帰ってこられないから改まった席はもう一度考えて用意するから」

夫の家庭では、いちいちそういうことで席をかこまない。そんな義父をそこに呼ぶのは夫自身、窮屈なのだろう。母の出しゃばる癖もよく知っている。彼女がいれば、義父は客人となる。いつものように息子家族におごってやって「おじいちゃん、ごちそうさま」というわけにはいかない。

金銭感覚も、文化もまるで正反対の二人。そして出張る嫁の母。

「僕はさ、お母さんと食事するのはまったく嫌じゃないからそれだけでやっちゃおうよ」

夫はそうは言ってくれるが、それではなにかが大きくずれる。

義父ありきの企画だったのだ。

実のところ、今回は没にして、年末にでも、そっと義父を囲んで仕切り直してもいいかと企んでもいた。こっちとあっちは別々にやるほうが穏やかなのかもしれない。

それを察知したのか

「とにかく、みんなそろってお祝いしないと駄目よ。あなたのときだって、おば樣方に来ていただいてちゃんとしてあげたでしょう。」

興奮する母に、静かに教え諭すように、私は言った。

「そういうものじゃないっていうのは、お母さんの価値観でしょう。あちらはあちらのやり方でやってこられたの。理解できないからって、否定することはできないんだよ。だた、違うだけなんだから。」

「でも、そういうもんじゃないのっ」

「私たちにやってくれたセレモニーは感謝してるよ。大事に育ててもらったと思ってる。でも、それ以外は違うっていったら、夫の育ってきた家庭を否定することになるんだよ。いろいろあっていいんだよ。正解はないの。」

「ちがうっ。そういうもんじゃない」

「ちゃんと夫と微調整するから。でも、私はお義父さんの気持ちを大事にしたいの。お母さんはお姉さんや孫の声や顔が近くにあるけど、お義父さんは一人でがんばってるんだよ。少しくらいゆずってあげようよ」

結局、そんなのおかしい、と怒って帰って行ったが、私はこれまでにないすっきりとした気分だった。

譲らず言えた。

ひるまず貫いた。

母は悲しかっただろうか。

楽しみにしていたからなぁ。