お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

やはり母の毒気にあてられて、あ、失敬、母。

もとい、先日、母と二人で二子玉をうろついたのが祟って・・・あれ、いかん。

風邪を引きかけのようだ。咽が痛い。体がだるい。頭が重い。

振替休日の今日も息子の学校はあるそうで、通常通りに6時朝食、登校していった。

息子を送り出したあと、近所を一周して、近くのドトールで小一時間ほどぼんやり過ごすのが、ここ最近のお気に入りだったのだが、今日はその気になれない。もう一度ベッドにもぐりこんだ。

こうして二度寝を呑気にできるこの環境。あたたかいベッド。屋根。部屋。

最近、お風呂につかったとき、家にかえってきたとき、ベッドにはいるとき、ごはんを食べ終わったとき、しみじみと「ありがたい」と思う。

昔、母方の祖母が泊まりにきて一緒にお風呂にはいったとき、よく湯船につかると

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」と唱えていたが、あの気持ちがよくわかる。

子供の頃は年寄りは、なんでも念仏となえるものなんだなあとおもっていたが、あれは、世の中を味わい尽くした年配者の深い祈りだったのかもしれない。

 

午後、ちょっとよくなった隙をみて、買い物がてら散歩にでた。

すぐそこのスーパーにまっすぐ向かわず、あえて遊歩道をぐるっとまわって遠回りをしていこうと、歩き始めた。

やはり、足がだるい。がんばって早くスーパーにつきたい。座りたい。

無心で歩く。

あ。と気づく。

わたし、これ、修行じゃないか。がんばって歩こうと、自分を励まして、心を無にして、ひたすら歩く。まさに修行じゃない。

やめたんだった。何者にもならないと。駄目なら駄目なりに、そのままの私でいいと、私が決めたんじゃないか。

私が私にそのまんまでよしと、私だけはどこまでも味方だから怖くないと。

その場でじっと立ち止まり考える。

やめた。

くるりと引き返し、スーパーへの最短の道を歩き始めた。

思考回路って癖になっているんだな。

右手を使わず、きょうから左でと思ってもつい、右手がでるのと同じだ。

もう、なにも怖いものはないはずじゃないか。

うっすらと私はなにを怖がっていたのだろう。

すごく大きな動かしがたいものだった気がするのに。

なんだったのだろう。