お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

打ち止め〜

すっかりやられた。

今朝、息子を送り出したあと、起き上がれない。

母と昨日、半日過ごしたことでこんなにも疲労困憊するとは。

結局祖母は行ったら昼寝をしていた。深く気持ちよさそうにリズミカルに息をして、口を半分ポカンを開けている。血色も良く、寝ているのに元気そうに見えた。

それでも部屋の中に簡易トイレが持ち込まれたのを見ると少し切ない。

102歳なのだから、自分で尿意を感じて言うだけでも相当立派なのだとは思うが、狭い部屋の真ん中にドンと置かれた便器の横に、車椅子が並んでスタンバイしている。

一気に部屋全体に『最期に近づいている老人の部屋感』が溢れ、それが、切ない。

母も同じだったのか、「帰ろうよ」と言う。

起きるの待たないのと聞くと、顔を見たからいい。叔父とやりとりしている連絡ノートにメモを残しておけば、ちゃんと来たってことがし証明されるから大丈夫だと言う。

じゃぁ帰ろう。明日また一緒に来てもいいよ。

いや、明日はもう、いい。来週、またにする。

あっけなく用事が終わり、さあ帰ろうと、駅中の焼き鳥屋で買い物をしようと近寄っていくと、母が

二子玉川、寄らないの?」。

う・・・。二子玉ねぇ。やっぱり今日も寄るんでしょうか・・。あそこ行くとあなた、長いから。私はまっすぐ帰りたいんですけども。

「う〜ん。私は用事ないけど、ここの焼き鳥、息子の好物だから買ってく」

二子玉川で買おうよ。」

観念した。

途中下車して、華やいだ店をぶらぶら覗き、地下の雑貨を冷やかし、いつもの喫茶店に入る。朝からずっと聞かされていた母の友達の悪口が、いよいよここで佳境に入る。

「もう、大変よ、あの人と付き合っていくのは」

じゃぁ付き合わなきゃいいじゃないかとツッコミを入れたくなるが、そんなこと言おうものなら「思いやりがない」「そうやってあなたはなんでも面倒なことを避けようとする、だいたい昔っから・・・」ととんでもない展開に引きずり込まれるので、ひたすら「ヘェ」「あ、そうなの」「あらららら」と無難な相槌を打つ。

逆らわずに聞いていると、延々続く。話はあっちに飛び、こっちに飛び、生き生きと話しているのを見ているとだんだんおかしくなってくる。

子供だ。

これは、この疲労感は子供の相手をしているときのあれと同じだ。

母は友達や、頭の上がらない長女にはここまであけすけに話さない。どちらかというと品がいい。

息子も同じ。外の俺は人格が違う、と自らも認めているが、外でクールで通っている仮面とは裏腹に、家の中では、ひとたび何かしら不安なことを抱えたとたん、こっちが眠くてウトウトしていようがなんだろうが、遠慮も配慮もなく、どうしよう、どうしようと一方的に話し続ける。

たまっている不満やぐちを延々と聞いてもらうのは、何よりものストレス発散だが、大抵はカウンセリングでもない限り、相手の様子を見ながら、ほどほどで切り上げるだろう。

息子にしても、母にしても、答えやアドバイスは必要としていない。まさに求めているのはカウンセラー。

ただひたすら、さも聞いているかのように根気強く相手をして欲しいのだ。

あぁ、だから私は夫を選んだんだっけ。

適当な相槌を打ちながら、頭の隅でぼんやり思う。

夫にこんな風にタラタラと埒のあかない戯言を聞かされるとき、私は厳しい。

「わかったわかった。もう、寝ろ。ぐちぐち言ってこの家に負のオーラを巻き散らかすな。とにかく寝ろ」

「あ、俺を寝かそうとしてる。めんどくさいわね、この人ってあしらっている」

「そうだよ、めんどくさい。神聖なこの家に負のオーラを撒き散らかすな。」

夫の助かるところはここで笑うところ。おーい、聞けー聞いてくれーと言いながら鼻歌歌って歯を磨きにいく。

 

「まあまぁ、お母さんも大変なのね」

そろそろ帰りたい。相槌も〆に入らねば。

「そうよ、あなたみたいに何にも考えないで生きてる人とは違うのよ。どうしてお姉さんと同じに育てたのにこうもうまくいかなかったのかしらねぇ・・だいたい、あなた、子供の時から・・・」

うわわわ。結局そこにつなげるか。

「さ、そろそろ遅いし、夕飯の買い物して帰ろっかね」

容赦無く、バッサリ、打ち止め〜。