お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

健気な人

二日前、父の命日だった。

父は63で逝ってしまった。息子がまだ2歳半、私は32、夫は34。

夫と不仲ではなかったが、まだ夫婦というよりは兄妹というような、二人ともまだ子供だった。

父が亡くなった日の晩、母に言われて夫にすぐ帰ってくるようにと電話をした。

会社で遅くまで仕事をしていた彼は、知らせを聞いて「そうか」というだけで、「すぐ帰る」とは言わなかった。

「しばらく会社を長く休むことになるから、その間、会社から呼び出されないよう、引き継ぎをしてから帰るから。今夜はちょっと遅くなる」

私はちょっとびっくりした。妻の親が死んだのだから、全てを放り投げてすっ飛んで帰ってきて、私を、母をいたわり、葬儀会社とのやりとりなど、取り仕切ってくれるものと思い込んでいた。

「トンさん。・・大丈夫?」

「大丈夫だよ。できるだけ早く帰ってね」

自分の親のことなので責めるのもおかしいし、彼が長期で休むつもりでいてくれていることはわかったので、そう答えたが、物足りない対応だとも不満があった。

「夫君、すぐ帰ってきてくれるって?」

気が立っている母に、夫の対応を伝えるのが内心、気が重かった。できるだけ、それが当たり前でしょという風に、

「しばらく会社を休むから、引き継ぎをすませてできるだけ急いで帰るって」

と、わざとハキハキと言った。

「あらあ。いざという時に役に立ってくれないのね。ダメね」

ダメじゃない。彼はこっちに力を集中できるように、感情に流されずに、冷静に対応しているだけだ。あいつはそんな薄情なやつじゃない。

悔しかった。

その晩、遅くに帰ってきた彼は、淡々としていた。父と一緒に飲みに行ったり、ラグビー観戦をしてくれていたので、仲は良かったが、取り立てて悲しみの表情をするでもなく、私を悲劇のヒロインにするでもなく、いつものように夕食を食べた。

しかし、それから葬儀屋と打ち合わせを何時間もしてくれた。

告別式の最後に母に変わり挨拶をしてくれた。

顔も知らない親戚や数回しかあったことのない私の叔父や叔母の相手も、普通にしていた。

今、思い返すと、当時の彼にとって、相当の重圧だったろうと思う。

私は自分のことと、息子の精神状態のこと、現実についていけてないふわふわした日々で彼のことまで気が回らなかった。

今思い返すと、あの喪主に代わりやった挨拶をした晩の夫の頭を「よく頑張ったね」と撫でてあげたい。

疲れたとも、眠いとも、なんで僕がそこまでやるのとも一切言わず、母の「遅かったわね」にも「すいません」としか答えず。

私のお父さんが死んでしまった。

それは、夫から同情されて当たり前。でも健気に母と妻の日常をこなしていると、自分しか見ていない幼い私の叫びだった、

けれど、18年経った今、やっと気が付いた。

健気なのは夫の方だった。