お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

父と話す夜

昨夜夜中までレポートを書いて、今朝、5時に家を出てバイトをしてきた息子が

「ダメだ、起きてられない、寝る」

そういって8時半に二階に上がって行った。

9時半の台所で一人、バニラアイスクリームを食べる。

ラジオをつけ、スプーンを口に入れながら、ぼうっと壁を眺める。

幼稚園年少の息子が初めての運動会でスタートラインに緊張した顔つきで構え立っている写真。

初めてのクリスマス発表会で、小人になってお遊戯をする息子。この時も緊張して顔が笑っていない。

夫と婚約中、すでに退社した私と、夫と、会社のイベントに顔を出しに行った時に撮ってもらった若い二人の写真。

息子が生まれた年に夫の親友からもらったコペンハーゲンのイヤープレート。

ディズニー展で買った原画のコピー。

出産後すぐの私が息子を抱き、それを覗き込む父。

遠い、けれど、つい最近のような、過去の私たちがそこにいる。

そして。

そのてっぺんのところにあるのが、大事そうに、怖々と、けれど、満面の笑みで息子を抱いてこっちを見ている亡き父の写真。

この時、すでに再発をし、手術を繰り返していた父は息子が2歳半のとき、逝ってしまった。

その嬉しそうな顔を眺めながら、アイスを口に運ぶ。

甘いバニラが口の中で溶けていくのを転がしながら、ぼんやり見上げる父の顔。

目をそらさず、じっと見つめながら気がついた。

あぁ、こうやってお父さんの顔をちゃんとまた見られるようになったんだ、私。

辛いとき、苦しい時、嬉しい時、いつもこの写真に向かって話していた。

それがある時から、この写真の中の父の顔を見ることができなくなった。

母の存在が苦しくなり、生活が荒れ、引きこもり、生きていながら死んでいるような投げやりな日々が続いていたあの頃。

いつしか、後ろめたく、胸を張って父を見られなくなった。

もう死んだ人なんだから。

そう自分に言い訳をして、父から逃げていた。

恥ずかしい自分、父が愛した母を疎ましがっている自分。

今の私はきっとお父さんが嫌う嫌な女だ。優しさも健気さも勇気も元気もない。

こんな自分で会いたくない。会えない。会わす顔がない。

逃げていた。避けていた。父を。

 

今夜、じっと見下ろしてくる父の笑顔は優しい。

「お前さんに期待なんかしちゃいないよ。とにかく呑気に生きろ。お前は昔からバカだけど面白いやつだったじゃないか、賢くなろうとするから間違えたんだよ」

そう言っている。

 

賢くなろうとするな。

ほんとだよねぇ。

私、何になろうとしてたんだろ。

 

一人で過ごす夜のテーブル。

久しぶりにお父さんとおしゃべりをした。

ご無沙汰していました。お父さん。