ゆっくり走る窓からは
一日読書。・・・というとかっこいいが、実際は集中力がなく、合間合間にテレビをつけて録画していたドラマを見たり、Kindleのサンプルをダウンロードしては試し読みしてみたり。何をやっても、体がノッテこないので、半ば投げやりに本を開く。
ちっともアカデミックでない。
力を抜いて好きなようにと、自分にそれを許してみると、どうしようもなく怠け者の私しか出てこない。そうだったそうだった。これが私の正体だ。小学生の頃、毎日こんなだった。
ちょっとがっかりだが、これで生きていこう。これからは。これまでの背伸びした頑張り屋には、あれは幻想、虚構だ。
一度読み終えた本で、わかったつもりでいたものも、数年後に読み返すと理解が違っていることに気がつく。もっとひどいのは、「あれ、こんなこと書いてあったっけ」と内容すら覚えていない。
あの頃、救いを求めるように、片っ端から心に響きそうな本を読みあさった。上っ面の文字だけを追い、自分に都合のいいように味わった。
今、またそんな類の本に手が伸びるのは、若干、また、停滞しているからかもしれないが、どこか開き直りもある。
手にしているものを手放すまいと、何かを掴み取ろうとぎゅっと握りしめていた手に、今、力は入っていない。だらんと開いている。
ゆっくり流れる時間の中で怠け者の自分を持て余しつつも、そのまま過ごしていると、早送りで見えていなかったものが見えてくる。
猛スピードで走っていた窓からは見えなかったものを、ぼんやり眺める。
私は、なんでも持っていた。いつの間にか、欲しいものはみんな私の周りにある。
困ったなぁ。
向上心が全く湧かない。
いけるとこまで行ってみよう。