江戸っ子でいこう
だーめーだーっ!
・・・は、恥ずかしい。あまりに恥ずかしくて読み返しても最後まで読めない。
きのうの記事。母の「姉かわいさ」にふりまわされる理不尽さと、同時にいくつになっても我が子は心配で気になってしまうことに対し、あきれつつも、自分自身も振り返り、共感を書いたつもりだった。
しかし、どう客観的に見ても、あれは末っ子が「お姉さんばっかり・・・」といじけているだけじゃないか。
あぁ〜っ。恥ずかしい。
たぶん彼女も相当下手くそに、母と妻と嫁を力任せにやってきた人なのだ。間違いだらけの子育てだったと私に愚痴るのは、育てられた張本人として如何なものかと思うが、たぶんあれは本音なんだろう。凸凹不器用に生きるところは私と同じなのだ。
母が私にイラつくのはきっと、自分の失敗作がチョロチョロ視界に入るからかもしれない。
上はうまくいったのになぁ。。「なんで下はこうなっちゃったんだろう」と思うのだろう。
わからんでもない。
いじけてとか拗ねてとかでなく、なんとなく、わかる気がする。
やれやれ。それにしても「困ったちゃん」だなぁと思う。
あれほど怖くて完璧だと思っていた母が、近ごろ急に意地っ張りの、小憎らしい、可愛い婆ちゃんに見える。暴言に傷つくのは相変わらずだが、「うっ」っと瞬間の痛みで消える。こっちの調子のいいときは「だまらっしゃい」と一撃するスキルも身につけた。
可哀想で健気な私、なんてのをどこかで悲劇のヒロインぶってやってた自分からやっと抜けだせた。
健気なんて、くそくらえ。
手強い母に対し、こっちも「小憎らしい、負けてない娘」で迎えうつ。
そうなりたいのだ。
強くなりたい。
強くなりたい。
つよく、やさしく、包み込みたい。
母も、姉も、夫も、息子も。愛する人たちを。
くっさいことをまた書いてしまった。
でも、書かずにはいられない。
誰に話すことじゃないけど誰かに話したいことなのだ。
明日、またこの記事を恥ずかしくて読み返せないことは確実だ。
自身の家庭の土台がしっかりと揺るぎないものと思えるようになり、私自身、母への依存が減ったからだろう思う。