アマチュアで生きていこう
知るために右往左往したことは
無駄じゃないよ!by masheley
息子の「友達がうまく作れない問題」を昨日、かなりの勇気をふりしぼって書いた。
書いてみたことで自分自身、そのことをあまり深刻にならず、客観的に捉えられることができてよかったと思う。
子供が少し頼りにして自分のことを話してきたとき、私はできるだけ深刻にならないようにしている。もし、「参ったな」と思ったとしても、あえて、そうする。
それは私が母親の言葉に翻弄された過去があるからかもしれない。だが、やはり子供はいくつになってもなんとなく親のリアクションをアンテナにして成長していくように思う。
「僕、今、これこれ、こうなんだよね・・」
と聞かされて、「ええっ?どうして?どうするの?なんでそんなことになってるの?」ともし、私が言ったなら、それは事件になる。大問題だという前提で話は進む。
「僕、こうなんだよね・・」
「へぇ。まぁそんなもんじゃないの?たいしたことないよ」
たとえ、多少歯をくいしばって返事をしたとしても、そう親の口から帰ってくれば、少なくともこの家の中だけでは彼は丸なのだ。丸ごとOKなのだ。
それは夫もそう。
二人とも外で私の知らない傷を追ってくるときもあるだろう。
私にこぼすことはきっと全体の何万分の一だろう。
何があっても、ここはホームベース、基地。ここではみんな丸腰でいられる。そんなところでありたい。
友達がいまだにできないというのは、正直なところ、「参ったな」だった。
だが今更小手先のテクニックや、付き合い方を言ったところで、それは息子ではない。
もどかしく、不安になっているのはきっと、誰よりも彼自身だろう。
「心配いらないよ。健全な心、健康な体、それさえ大切にしてれば、なんでもできるよ。人と自分を傷つけたりしない限り、好きにやっておいで。」
グッと見栄を切ったものの、なんとかぐらつきそうなのを踏ん張って動じない母を演じた。
コメントをいただいた。
どこかに似たような子を見た記憶があると。二人の方から。
お二人とも、息子の不器用さをご自身の若い頃と重ねてくださった。
そしてそれをわざわざ書いてくださった。
どんな本を読むより、これには勇気付けられた。
「あ、いいや。問題ない」
心の底から私の中から不安は消えた。綺麗さっぱり。
私が信用している二人の大人が二人揃って、自分もそんなだったというのだ。
息子は私が信用できる大人に向かって成長中だとう証拠じゃないか。
嬉しい。誇らしい。いいぞ、息子。いい線いってるぞ。
「いってきます」
「よっ」
「ヨォ。いってくるぜ」
「そうそう。自分じゃない人にならなくていいから、そのまんまで、ヨッ」
ニヤッと笑って出ていく息子。
誠実に全てに向き合え。いいのだ。その調子だ。
今夜から堂々とそう言える。
それがどうした、息子。ちゃんと右往左往して進め!