解けつつあるとき
固かった塊が砕けた。
午前中、例によってグダグダとしていたところにラインが入った。いつもお茶を飲みにくる近所の友達だった。
「tonちゃん、助けて!黒いコート貸して!日曜日に葬儀があるんだけど、春のコート持ってないの」
すぐ、母の黒いトレンチが頭に浮かんだ。
私は持っていない。私も彼女の普段着に構わないので今ぐらいの季節はパーカーでやり過ごす。本当は冠婚葬祭用のたしなみとして、そろそろオールシーズン着用可能の喪服だけでなく、コートやアクセサリーなどもきちんと用意してもいい年齢なのだが、喪服があればなんとかなるやと、詰めが甘い。
母の黒いトレンチ。高級ななんとかという海外のブランドのがある。確か帝国ホテルのアーケードを私とぶらついているときに試着し、そのまま買ったので覚えているのだ。ぎょっとするほど高かった記憶がある。
あれを貸してとは言いづらいなぁ。きっと得意になって貸すだろう。が、ここぞとばかりにグイグイと入り込んで、いつものように恩着せがましく構うんだよなぁ。
彼女は汚さないだろうか。
母に借りを作るのもやだなぁ。
めんどくさい、「持ってない、ごめん」で済ませたっていいんだ、そうしちゃおう。
そのとき、なんでか思った。
迷惑をかけてみよう。甘えてみよう。
今にして思うとなぜ急にそんなことを思ったのかわからない。ただ、そのとき、頭の中心でその言葉が浮かんだ。
どうせ手のかかるダメな娘と言われるのなら、それに乗っかるっていうのも一興かもしれない。
母は張り切った。すぐさま二階に飛んで行き、衣装部屋からコートと、それに合うグレーのシルクのスカーフを持って降りてきた。
「これ、首元が空いているから、スカーフをするといいわ。カバンはあるの?カバンも貸してあげるわよ。あと、これ、黒いレースの手袋もあるけど」
スカーフと黒いコートを借りた。
「レースの手袋って柄じゃないよ、彼女、ありがとう。これ高かったんだよね」
「いいのよっ、彼女には高いものだとか言っちゃダメよ」
・・言いませんってば。
家に戻り、ラインをする。
「あったよ。母のとこに。見にきて」
「今行く!」
彼女はデニムにパーカーでやってきて、その場で着てみた。
「ちょっとちっちゃいけど、ま、いいか」
屈託無くいうところが彼女らしい。そのまま持っていった。
私のちっぽけなこだわりなんてくだらない。
してあげるのはいいけど、してもらうのは嫌。
母に対しての小さな堤防。
そうしてなくては自分を守れないから、そうしていたのだ。馬鹿らしいことだったとはやっぱり今も思えない。そういうときも必要だった。
ぐるっと回って今、改めてダメな世話の焼ける娘の私でいよう。
いつまでたっても本当に・・・。
はい、それこそが、私なのです。
おかぁさーん、ごめーん。あのさぁ・・・・。