強くなりたい
母が昨日、祖母のいる老人ホームに一人で行ってきた。
食がすっかり細くなり、持って行った蜜豆も求肥と豆を数粒、イチゴを一つ食べただけで「もういらない」と言ったそうだ。
グラタンやバターをたっぶりと塗ったトーストの好きな人だったので、ショックだったのだろう。ホームを出てすぐ、その場から電話をしてきた。
101歳ともなれば、少しづつ衰えてくる。スタスタ歩いていたのも、壁に手をつけて、慎重に歩く。
私もそれには気がついていた。気がついていたけれど、年の割りにはしっかりしていると思うことで悲しくならないようにしていた。
ゆっくりその時に近づいているんだということは覚悟しながら、それまでの意識のしっかりした、限られた時間、できるだけ会いたいと思って通っている。
「もう、ダメなのよ。もうだめね」
母は自分に言い聞かせるように私に言う。
「あなた、喪服は持ってるわよね」
冷静な台詞を言うこういうときの母は、動揺しているのだ。こんなことにも気がつかないで私はこの人の発する言葉の、表面上の意味だけ受け取っていた。
お母さんだから。
お母さんは動揺したり、理性を失うことなどない。
幼稚な私は、母の発する言葉の裏にある不安などわかりもしなかった。母が私にキツイ言葉を言ったとき、一杯一杯で心に余裕のないあまり、それを蹴散らしたくてぶつけていたのかもしれない。長男の嫁として妻として、母として。
私のことをちゃんと見てほしい、理解してほしいと思うばかりで、この人のことを理解してやれていなかったのではなかろうか。
家に帰ってきてからも私のところにやってきて、今日の祖母と自分がどんな風に過ごし、どんな話をしたか、二人でベッドに並んで寝て話したんだと報告する。
「うんうん」としか返事のしようがないが、ただ私は聞いていた。
父に守られ、天下を牛耳っていた頃の怖いあの人はもういない。
この人は、これまでは一人でこんな覚悟を背負ってきたのだろう。気張って気張って生きてきたのだろう。
父の病気を知ったとき。上の弟の余命をきかされたとき。・・・7年前の私もその中に入っているのだろうか。きっと「大丈夫よ」と強気に振る舞って見せ誰にも泣きつくことなく堪えたのだ。
全てを手放して守ってあげたい。
暴れまわるじゃじゃ馬の母はまだまだ衰えてはいない。
不安げな表情も心細さも話し終える頃には消えた。
「あなたも大丈夫だからあんまり心配しなさんなよ」
散々もうダメだ、もう長くないと言っておきながら、気丈な母の顔に戻る。
「大丈夫だよ。いざという時の用意もあるよ。でも、人はそう簡単に死なないよ。まだまだ大丈夫。」
まあね、と言って、うちのテーブルに並ぶ食事を見ながら「お肉が足りないんじゃないの?」と軽口を叩いて帰っていった。
守ってあげる。
じゃじゃ馬老婆。