お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

明日、49歳。

明日、私は誕生日だ。

人によっては、ある程度になると、自分の生まれた日なんて今更嬉しくともなんともないと言う。私は嬉しい。

なんと言うか、感慨深い。

あの私が、大学生になって恋をして、会社に入って結婚して、子供を産んで、その子供が大学生になって。おお。あの私がねぇ。

自分の意識の中での私はいつも、小学生の、缶蹴りを日が暮れるまでやっていた頃の子供の姿をしている。

あの子がねぇ。まぁまぁ、大人になって。

子供を産んでからは毎日が選択の連続だった。次々と迫ってくる母親としての判断。与えるか我慢させるか、叱るか、見逃すか。瞬時瞬時に答えを出していかなくてはならない。何が正解なのかもわからないし、育児の本だって自分の息子のためのものはないから、結局は自分で決断しなくてはならない。理由なく愛していること。存在しているだけで私たち夫婦を十分幸せにしていること。それを伝えることだけで精一杯だったようにも思う。

母が母になったのは、25だった。25で姉を28で私を。若い彼女も精一杯走り抜けてきたのだろう。

小学生の時、私は癲癇の発作を起こした。今なら自宅のパソコンで情報が得られるが、昭和40年代の当時は大学病院の先生の説明を聞いて納得するしかできなかった。あの怖がりで世間体を気にする性格では、友人にも相談できずどれほど不安だったことだろう。その後も肝臓、胆嚢、腸と胃のポリープ、流産、切迫早産、骨折、多機能不全でいきなり倒れて危篤、股関節骨折。

「お姉さんが、私たちが死んだ後一人じゃかわいそうと思って産んだのに、どうしてこんなことになっちゃったのかねぇ。私の人生もなんだったんだろう」

母が思わずそう呟く。

思うようにいかない次女。

そうだよなぁ。

まぁわかる・・・かな。

 

でも。だからと言って、責任を取って、せめて母好みの娘になろうとはもう思わない。

すまない。面目無い。

ありがとね。

育ててくれたんだから、そう思わないとと、ずっと自分に言い聞かせてきたが、気がつくと単純に、理屈なく、今、そんな風に彼女を見る。

いろいろあってここまできたね。

ギクシャクもした。依存しあったときもあった。

それでもここまできたね。

ありがとね。

 

明日は私を母が産んだ日。

お礼を言おうか。