お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

明日から私は

明日息子は21歳になる。

自分が50歳になって21の青年の母親になるとは、そんな人生になるとは知らなかった。

彼が生まれたばかりの頃、自分はこのために生まれてきたんだと、生きている意味を感じられるような誇らしさがあった。

小さい頃は、自分好みの男の子では全くなかった。

男の子というものはやんちゃで危なっかしくて、戦闘物が好きで、じっとしていない火の玉小僧だと思っていたし、そういう子供が好きだった。

それを追っかけ回しながら育児する、それが私のやりたい男の子の子育てだった。

しかし息子という生き物は、性格も趣味も全て決めて生まれてきた強いエネルギーがお腹から出てきたようだった。

用心深く、じっといつも何かを考えていて、戦いを好まず、周囲の変化を観察する。

衝動的には動かず、私がこっそりチャンネルを合わせておいた子供向けの戦闘ものは「危ないから」と言って消す。

平和をこよなく愛する。やられても攻撃をしない。いじめられっ子にならないように戦うよう教えても「喧嘩っぽいのは嫌だ」と頑として戦わない。

ブランコの順番も割り込みされればずっとみんなが満足していなくなるまで待つのだった。戦うくらいなら、時を待ち、たっぷり堪能する方を選ぶ子だった。

幼稚園も学校も自分で決定する。誘導の余地もない。

成績から見ればこっちの学校でもいいんじゃないのと親は思っても、本人は学校の生徒の雰囲気が俺と違うと譲らない。

迷い荒くれながらも方向だけは妥協せず生きている。

 

去年20になって一区切りついたと思いながら、この一年彼と暮らしてきたが、もう私を必要としているのは息抜きの会話と食事だけだとつくづく思う。

明日21になる。

私も自分をもう一度やってみよう。

私自身を貫いて強く生きていこう。

自分は何をしているときが幸せで、そのためには何をしたいのか。

これからどの方向に向かっていきたいのか。

 

母の介護までの数年間、地に足をつけて力強く。