お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

私はなる

最近、自分が少しづつ変化していているような気がする。

そういう年齢なのか。

ずっと、健気に努力する自分、そっと支えている自分、陰ながらの自分・・そんな存在の人でありたいと思っていた。

溢れ出しそうなエネルギーをぎゅっと押さえ込んで、自己主張はしないのがいいとしてきた。周りをたてる。周りがあってこその自分と言うのだろうか。

その時その時によって立ち位置をフワフワ変えることが、優しさだと疑うことなくやってきたのだが。

自分の中から浮かんでくるふわっとした「やだな」というのとか、「やってみたい」「ああしたい、こうしてみたい」という思いつき。ここにもっと軸を置いて、力強く進むことは、人に迷惑をかけることにはならないんだなぁ。

陽気に力強く。

我慢して儚く弱くの人であろうとするのはずるい。

「そうでなくても体が弱いんだから人に迷惑をかけることが多いから、あなたは他のことではおとなしくしときなさい。」

いや、いや。

違うよ、お母さん。

 

私が弱く生まれたわけは、弱い人に共鳴することができるように。

心も体も弱った人の辛さを理解してやれるため。

明るい方へ引っ張っていける人になる。

迷惑かけながら「ありがとう」と言って生きよう。

遠慮せず自分をむやみに引っ込めない。

どんと構え、たっぷりの愛を自分に注ぎ、満たして溢れださせよう。

溢れて出てきた愛でみんなを明るくする。

自分を満たすことは愛すること。そこには我慢とか恐れとか不安とか全くない。

強く。強く。強く。

強いことは悪いことじゃない。

強く。

たっぷり満たすってどんな感じだろう。

大人気ないっていわれるかもしれない。

ダメねぇって言われるかもしれない。

それでもブレずに強く強く強く。

まずは自分を。

カラッと太く強い私になる。